老子の宇宙観

The World of Lao-tzu and Tao

「満たず用いる」

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●原文 第4章&第5章抜粋+第11章

道沖而用之或不盈
淵兮似万物之宗
湛兮似或存。


天地之間 其猶籥乎
虚而不屈 動而愈出。


三十輻共一轂
当其無 有車之用
埴以為器
当其無 有器之用
鑿戸以為室
当其無 有室之用
故有之以為利
無之以為用。

●読み下し

道は沖にして、或いは盈(み)たずこれを用いる。
淵に似たり、万物の宗なり。
湛に似たり、或いは存す。

天地の間は、其れ猶(な)お籥(たくやく)か。
虚にして屈せず、動じていよいよ出ず。

三十の輻(や)、一つの轂(こしき)を共にす。
其の無に当たり、車の用有り。
埴(はに)を(こ)ね、以って器と為す。
其の無に当たり、器の用有り。
戸と(まど)を鑿(うが)ち、以って室と為す。
其の無に当たり、室の用有り。
故に、有を以って利と為し、
無を以って用と為す。

●略意

道は沖にありて、天地の淵(ふち)に似ている。
万物の根源にして、空(から)のままこれを用いるが、
満々と(水を)たたえているようでもある。
天地の間は、いつも相変わらずフイゴのようである。
空っぽのようだが尽きることがなく、ひとたび動き出せば、ますます生命を生み出す。
車輪の30本のスポークは、中央のハブに集まり、
ハブの真ん中に空いた中空を軸とするゆえ、車として用いることができる。
粘土をこねて、器を作る。
器は中が空っぽゆえに、器として用いることができる。
入口や窓を空けて、家を作る。
中に空間があり、扉や窓が空いているから、部屋として用いることができる。
故に、「有」なる万物をもって利器なるモノを作るが、
そこに「無」なる空(から、あき)の部分があるからこそ、用いることができる。

●解説文

道(Tao)は、この世のはるか遠くにあって、この世界の淵のようである。
万物の母なる「有」のさらに根源の宗(おおもと)にして、空っぽの器のようであるが、また満々と(水を)たたえたように、すべての天地万物を支配せずにして自然とつかさどる。

天と地の間は、それ、変わることなくいつもフイゴのようである。
フイゴの中は空っぽだが、それゆえにこそ空気を送る用をなすのであって、空っぽだから使えないということはない。
動き出せば、火にいよいよ勢いを与えて、燃え盛らせる。

車輪には(30本の)スポークがあって、中央のハブに連なっているが、ハブやスポークの間に空間があるからこそ、回転でき、車としての用をなす。
粘土(つち)をこねて成形し、器を作る。
器は、中が空洞ゆえに水やモノを入れて器として用いることができる。
木材や石や土を用いて、扉や窓を空け、家を作る。
家は、中に空間があって、入口や窓を空けているからこそ、部屋として使うことができる。
それゆえ、「有」である万物を使って材料や素材とし利器を作るが、「無」である空洞や空間や空いた部分があるからこそ、用をなして役立つのである。

One-Point ◆ 第4章と第5章のうち錯簡(間違って配された)と思われる箇所や、本旨に直接関係のない部分を除外し、第11章の全文を加えて、老子の云わんとする一端をご紹介しました。
ここで述べられていることは、いわれてみれば当たり前ですが、凡人には気づくことができない奥深さがあります。「無」の要素があるからこそ、ものの役に立つことから、老子は作為のない「無」による治世を是としています。




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