老子(道=Tao)の宇宙観

The World of Lao-tzu and Tao

はじめに

  

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真実の『老子』は、いずこにありや?
「弱者」や「負け犬」の慰めの書と誤解される『老子』。
『老子』は、君子候王に聖人たるべき治世の道を説きました。
第1章「天地生成論」によって理解できます。
庶民に向けた教えではないことは明らかです。

●老子、本当の教え

老子は超絶です。
天地の道理を見抜き、君子候王に世を治める聖人の道を説きました。
世の『老子』註釈書の大半は、この視点を誤解しています。
本来、一般庶民である我々が読む必要のない書が『老子』です。
実際、老子の時代、書を読むには高い学識が必要でした。
そんな時代に、一般庶民に向けて『老子』を記すことはありません。
読もうにも、庶民は文盲にして読めない時代なのです。
また、当時の知者でさえ『老子』は難解だったらしく、幾多の注釈書があるくらいレベルが高いのです。
老子は、庶民が自然に暮らせる天下泰平の道を当時のTOP、君子候王に説きました。
このことを理解しないで、庶民の視点から『老子』を読むと、間違った解釈をしてしまいます。

One-Point ◆ 『老子』の註釈書は、魏の王弼(226-249)が有名です。ただし、老子の「天地生成論」を正しく理解しきれていません。享年24歳、老子の天下国家の思想や治世の教えを読み解くには、幾分なりとも早すぎたようです。

●「聖人」たるべき君子

老子は、庶民に「無為」や「無欲」を勧めてはいません。
一般市民のための思想ではなく、逆に国を治めるTOPのための治世思想書が『老子』です。
国のTOPに「無」の思想による治世を説いたものであって、私たち一般市民に「無為無欲」に生きる教えを説いたのでは決してありません。
国や組織のTOPは、一般庶民や従業員とは自ずから立場が異なります。
とくに国のTOP、それも大国を治めるTOPの「立場」は、まったく違うといっても過言ではありません。
物事をとらえる視点や考え方、身の処し方は、庶民や従業員とは天と地ほども異なる「王道」が必要とされるのが、聖人たるべき君子候王です。
それゆえ老子は、『老子』の最初に、「道とすべき道は、常の道にあらず、名とすべき名は、常の名にあらず」と書き出したのです。
一般人のように、自由気儘に「好き・嫌い」でふるまうわけにはいかないのが、国のTOPたる君子候王です。
ただ、今日の自由民主主義社会にあっては、老子が『老子』で説いた「聖人」の道とはどのようなものなのか、私たち市民が知っておくことまで必要ないとはいえません。
なぜなら、現代では、「聖人たるべき人」を私たち一人ひとりの投票で選出するからです。
「聖人」とは、君子候王など為政者に対して、老子が使った言葉です。
我々、一般人に「聖人たれ!」とは、老子は一言も述べていません。
このことを理解しないと、『老子』を理解できません。
人生に疲れたときの慰めの書、無知無欲で生きるための道徳の書、といったように『老子』を誤解し、弱者の思想や、隠者の厭世(えんせい)思想かのようにとらえてしまいます。

One-Point ◆ 俗人は、「自分がTOPになれば、好きなことができる」と思いがちです。それは自由です。ただ、それで国や組織が治まることはありえません。老子は、そこをついて『老子』を記し、聖人たるべき君子候王に「無」の思想を説いたのです。

●老子の宇宙観の秘密

老子は、天地万物の道理を喝破しました。
そこに「道(Tao)」「名」「無」「有」を見出し、天地万物世界の始原とします。
その中で、天地の始まりである「無」こそ、君子候王が処すべきところ、為すべき道としたのです。
なぜなら、それが最も無理なく自然であり、天下が泰平に治まる道理だと気づいたからです。
老子は、その「天地生成論」によって、無を為す治世を君子候王に問いました。
老子の言わんとするところは逆説的ですが、すこぶる明快です。
自分が天子か君子、大組織のTOPになったつもりで『老子』を読めば、すーっと腑(ふ)に落ちてきます。
一般庶民の視点のまま、もともと「低き」に住む立場から『老子』を読むと、一部とはいえ、重要なポイントを間違えてしまいます。
事実、大半の『老子』註釈本やサイトは、この弊(へい)に陥っています。
老子は、君子候王に海や大河のように「低き」に居りて無をなし、世を治めよと言ったのであって、すでに「低き」にいる庶民に「もっと低きに下れ」とは言っていないのです。
現代の政治に例えていえば、政治家は市民の立場にまで降りていき、政(まつりごと)を行なえ、と言っているに等しい内容です。
それなのに庶民の視点で『老子』を読んでしまうから、「無欲」や「弱者」の書のように間違って解釈することになります。
そんなバカな話はありません。泉下で老子が嘆きます。
とくに、肝心の老子の宇宙観ともいえる「道(Tao)」に始まる「天地生成論」を正しくとらえきれていないために、その後の解釈に筋が通らず、齟齬(そご)をきたす箇所さえ散見できます。
『老子』第1章に書かれた宇宙観の正しい理解が、基礎のまた基礎。
この2点、『老子』を読む立場と、老子の宇宙観の理解。
『老子』全体を読み解く、すべてのカギです。

One-Point ◆ 『老子』は、『老子道徳経』とも呼ばれています。後の世に2巻に分けられ、上巻が「道」、下巻が「徳」の内容から始まるために「道徳経」なのですが、このタイトルが「庶民の道徳書」のように誤解を生む一因ともなっています。『老子』は、原文の竹簡が入れ替わるなど、錯簡も多いので、骨子をつかまないと余計に誤解が生じます。

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