宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

★ 建国記念の日 特別編2 ★
海王星入宮と日本の霊性
― その1:世界への役割り ―

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今回は、昨年に続き2回めの建国記念日特別編です。
海王星の魚宮入宮は、日本の役割りが重要度を増すことを意味します。
日本の民族性や霊性は、海王星と共鳴する魚宮だからです。

魚宮への入宮が意味する日本へのディレクション

●第1稿 : 2012年 2月 9日アップ

海王星は、今年2012年2月3日、正式に魚宮に入宮しました。
これによって「日本の霊性」の復活が正式に始まると同時に、日本国の国体、水瓶宮の「真の友愛精神(絆)」とともに、今後の世界的な精神的支柱として、見えない世界における「インフラ(社会基盤)」を築いていく役割りがはじまります。

《 当たり前の内容と突飛な論証 》

最初にいくつかお断りしておきます。
今回は長文になりそうなので、2〜3回に分けてお届けいたします。
「日本の霊性」は、日本人が意識するしないにかかわらず、無意識のうちに心の奥底に持っている「もの」なので、読んでも新鮮味が感じられない当たり前の内容も多く出てくることでしょう。
その一方で、突飛でもないと思われる断定した箇所もありますので、信じられない内容も書くことになりそうです。
ご自分の中の「日本人の民族性(魚宮)」をさぐりながら、ぜひ魚宮らしい広いお心でご高覧いただきたいと思います。
学術論文ではないので、いちいち細かな規定や論証を避けて、結論的に書いた部分が多々あります。
そうでもしないと、一冊の本にもなってしまう分量が今回はあります。
ご判断は、皆様の「霊性」にお任せします。
ここでは、海王星の魚宮入宮と、そこにかかわる日本人の「こころ(霊性)」が、これからの時代に果たすべき世界的な役割にどう関係するのか、日本の古代史、文化、言葉から解き明かしてまいります。
もろもろを感じる一助になれば幸いです。
極論すれば、昨今、富士山の大噴火や関東直下型地震が騒がれていますが、日本人が「日本の霊性」を目覚めさせて、見えない世界から世界に波及し、サポートするとき、「地震」は起きません。
起きても最小限に留まります。それができるのが「日本の霊性」です。

One-Point ◆日本は何座宮?」に書いたとおり、日本人の民族性は「魚宮」です。先回の建国記念の日特別編「女王卑弥呼と神武天皇の建国」に続いて、さらに日本成立の歴史や、文化、また言葉(日本語=やまとことば)から、分かる人には分かる、数々の驚くべき謎解きを行なってまいります。


物部氏も「もの」にかかわる

●日本の姓に「○○部」というのがあります。
阿部、卜部、軽部、海部、漆部、武部、etc. 多々あります。
古来、「部」は役割りや役職を意味していました。
由緒ある豪族の物部氏の「もの」も、元々は「霊」にかかわります。
なぜなら、卑弥呼や祟神天皇(ニギハヤヒ、大物主命)につながる日本古来の祭祀「かんながら」にかかわる一族だからです。
それゆえ、蘇我氏が大陸由来の仏教を奉じようとするとき、物部氏は反対の先頭に立ち、争いになりました。
587年の丁未の乱です。

《 見えざる「霊性」ってナニ? 》

「日本の霊性」というとき、「霊性」ってナニ? ですよね。
人それぞれに定義があると思いますが、宝瓶宮占星学らしく述べておきます。
「霊性」というのは、こころの奥にあって、無意識の「感性」や「感受性」を伴い、それを「感情」や「情感」として表出させる、見えない「もの」です。
一言でいうと、「心の奥」にあるものです。
西洋占星術をご存じのかたなら、「感性」や「感受性」、また「感情」や「情感」が月の象意の一部分だということにお気づきでしょう。
なので、月の象意の奥にある、見えない「もの」が霊性なのです。
宝瓶宮占星学の基礎理論からいえば、宇宙太陽系からみたとき、月の奥にあるものは「地球」です。
「地球」こそ「霊性」の象われなのですが、そこに話を広げると、宇宙を一周しますので、今回はここでSTOPです。
カンのいい方や、このサイトのどこかのページをご覧になられていればお分かりのように、「もの」という古代日本語は、「もののけ」の「もの」であり、「ものがたり」の「もの」です。
見えない「霊」の気配を感じたときに、「もののけ」がするといいますし、それが転じて「もののけ=妖怪」になりました。

One-Point ◆ 今回の謎解きの重要なヒントは、古代日本語(やまとことば)にあります。後日、中国から漢字が入ってきて、日本語の意味内容に似た漢字が当てられ、音訓2つの読み方が日本に定着していきました。「もの」は「者」や「物」です。人にかぎらず、大自然の万物すべてに「霊」が宿るとする日本の霊性からは、「もの(霊)」は「物」でもあって、何の違和感はないのです。


西行、平清盛と同時代を生きる

西行

●西行(さいぎょう):1118年〜1190年。
俗名、佐藤義清(さとう のりきよ)。
武家の生まれながら、23歳で出家して円位を名のり、後に西行と称す。
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士であり、僧侶であり、歌人。
平清盛(1118年〜1181年)と同じ年に生まれ、同時代を生きた人物。
今年2012年のNHK大河ドラマ「平清盛」では、藤木直人が佐藤義清(後の西行)を演じている。
西行は後年、源頼朝とも面会し、武士への未練はないことを伝えている。

《 見えない「もの」を感じる霊性 》

また、「平家物語」というのも、平家の落ち武者の霊の鎮魂を語るという意味で「ものがたり」であり、多くの人々が恋愛小説だと思っている「源氏物語」も、実は同様に鎮魂の意味が隠された「ものがたり」になっています。
古代日本に生まれた「○○物語」は、日本の霊性に基づいて「霊」にかかわる「お話」がほとんどだといって過言ではないでしょう。
それはともかく、「日本の霊性」というとき、もう一つ分かりやすいのは、皆様もご存じのとおり伊勢を訪れた西行法師が詠んだ次の一句が秀逸です。

「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」

「かたじけなさ」というのは、感謝の気持ちで「ありがとう」を意味しますので、「ありがたさに」ということですね。
一度でも類似の体験をされたことがある方なら、説明はいらないと思います。
場所はどこでもいいのです。
自然のあるお社(やしろ)でも、都会よりもむしろ田舎だったり、場合によっては剣道や柔道の道場だったり、我が家だったりしてもいいのです。
何か見えない崇高な「もの」を感じだり、「守られている」ように感じたり、穏やかな温かい気持ちになったり、しぜんと「感謝」や「崇敬」の念が湧き出てきて、知らずに手を合わせたり、頭を垂れてしまうようなことも起こります。
理由は分からないのです。
そう感じてしまう「霊性」がそこにあるからです。

One-Point ◆ 和歌には、「五七五七七」という縛りがあります。その縛りがあるからこそ、創意工夫が生まれ、クリエィテイブにもなりますし、言葉で伝えられない「こころ」や「もの」、すなわち「感性」や「霊性」を込めることができます。

《 「クオリチュアル」への動き 》

さて、「日本の霊性」が何となくでも見えてきたところで、次にお話をすすめましょう。
「日本人の民族性」が「魚宮」だというのは、上述の内容からも察せられる人は少なからずいらっしゃると思います。
その魚宮に、共鳴星の海王星が去る2月3日、本格入宮して、2025年まで、今後約15年間にわたって運行します。
かつて1846年に海王星が発見された直後、まだ双魚宮時代ですが、発見後、初めて海王星は魚宮に入宮し、運行を開始しています。
そこで始まったのが、まだ見ぬ理想(幻想)を追い求める共産主義運動であると同時に、18世紀後半の心霊的な神秘主義や、オカルトチックなスピリチュアリズムです。
しかし、今回は、すでに宝瓶宮時代が始まり、また天王星の牡羊宮運行によって「宝瓶宮時代の意識の目覚め」のディレクションと同時並行です。
同じ「スピリチュアル的」なものでも、次元をアップして、宇宙精神や宇宙波動によるスピリチュアリズムになってまいります。
宝瓶宮占星学を規定する新しい宇宙観=「クオリアル・ワールド」では、これを「クオリチュアル」といいます。
国家でいえば、日本国の国体=水瓶宮の「精神性」と、日本人の民族性=魚宮の「霊性」が融合したものが最も近いために、これからの時代は、日本人の精神性や霊性が世界的な役割りを果たすディレクションの時代になっていきます。
別に脅かすわけではありませんが、その役割りを果たせないとき、それこそ「日本沈没」の可能性が生じないともかぎりません。
ディアスポラの民や民族のように、世界中に散らばって、長い期間をかけて実践していく必要が生じてきたとしても、歴史の必然(目的や方向性)からは否定することができない内容なのです。
その基盤づくりのために、日本でも新しいスピリチュアリズムといえる「クオリチュアル」な動きが、一般人の間に静かながらも活発になりつつあるようです。

One-Point ◆ スピラーなどご本人たちは、何かを感じて行動していても、案外と意図や目的や役割りや使命を明確に認識していなかったりします。ヘタをすると、その道の著名人にもみられるように、間違った方向にも行きかねないので「霊識」が必要なのです。宝瓶宮占星学は、あらかじめ定められた「宇宙プログラム」を象わす宇宙太陽系の星の動きから、人類歴史に働くディレクションを「数理法則」を活用してリーディングできますので、スピリチュアルな能力はなくても、方向性だけは見えています。


「大」と「和」の音訓の読み

●本文に書いたように、「大和」を「やまと」と読む読み方は、音にも訓にもありません。
「大」は音で、タイ、ダイ、タ、ダ。
訓読みでは、おおきい、です。
常用外でも、もと、まさる、ひろし、はじめ、とも、たかし、おう、わ、うふ、です。
「や」とも「やま」とも読みません。
「和」は音で、ワ、カ、オ。
訓読みでは、やわらぐ、なごむ、です。
常用外でも、たけ、ち、とも、にぎ、まさ、やす、よし、より、わだこ、かつり、いず、かず、あい、です。
「まと」とも「と」とも読まないのです。

《 「大和」に秘められた「日本の霊性」 》

お話を「日本の霊性」に戻しましょう。
女王卑弥呼と神武天皇の建国」にも書いたように、日本の原点は、女王・卑弥呼(ひみこ)や、卑弥呼が都とする邪馬台国(やまたい、やまど)、さらには後年、畿内において成立した統一大和にあります。
当たり前ながら、確認しておきたいのは、日本人が自ら命名した「大和(やまと)」という漢字はともかく、他の漢字表記は、日本の真実を伝えていないのです。
「倭(わ)」を「やまと」と読むのはもちろん、「ひみこ」を「卑弥呼」と表記し、「やまだい」または「やまど」の国を「邪馬台国」と漢字で表記したのは、日本人ではなく、自国の文化のみ世界の中心とする尊大な中華思想を持つ古代中国人であって、その歴史書「魏志倭人伝」に書いてあるだけです。
彼らから見ると、日本は、華外の蛮族の一つ「東夷(とうい=中国の東に住む好戦的な野蛮人という意味)」と決めつけて、低俗な意味を持つ漢字をわざと当てたものです。
「卑弥呼」は、日本人が自分たちの女王を「ひみこ」と呼んでいた韻をとらえて、勝手に表記したもので、「ひみこ」の実像をとらえていません。
「邪馬台国」も、当時の日本人が女王が都とする国を「やまだい」または「やまど」と呼んでいたので、勝手に「邪馬台」という漢字を当てて、「邪馬台国」としたものです。
そのことに気づいた日本人は、自分たちの国の名前、すなわち「やまと」を表わす漢字に、当時の国の実態をもって「大和」を当てました。
それが、中国や漢字文化の国々に、日本の姿を知らせる最もふさわしい漢字だったからです。
この「大和(やまと)」にこそ、日本の国体=水瓶宮と、日本人の民族性=魚宮が美しく融合した「日本の霊性」の姿があるのです。

One-Point ◆ 日本人なら「大和」という漢字を見て、違和感なく「やまと」と読みます。そう読んで当たり前です。しかし、この読み方は、音にも訓にもなく、完全な日本のオリジナルです。日本人にとってはフツーですが、実はここに「日本の霊性」を解く重要なヒントがあるのです。


※次回以降は、「やまとごころ」にみる霊性や「ひみこ」の正体、また「かみ」の意味や「やまと」の由縁などから、「日本の霊性」を解き明かしてまいります。



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