宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

★ 建国記念の日 特別編2 ★
海王星入宮と日本の霊性
― その2:朝日と山桜花 ―

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神ならざる日本の身近な「かみ」と「やまとごころ」

●第1稿 : 2012年 2月11日アップ

前ページ「海王星入宮と日本の霊性−その1:世界への役割り」の続きです。
魚宮への海王星の入宮は、「日本の霊性」を目覚めさせるディレクションでした。
日本人が見えない世界から、世界を精神的にサポートしていく役割りの始まりです。
では、「日本の霊性」とは何でしょうか? その続編です。

《 「やまとごころ」の歌 》

「日本の霊性」は、「やまとごころ」だといえます。
「大和魂(やまとだましい)」とは、異なりますのでご注意ください。
「大和魂」というのは、儒教が発達し、次第に武術が必要とされなくなった江戸時代、日本人であることを自ら鼓舞するために、武士が生み出したものです。
そのような「大和魂」と日本古来の「やまとごとろ」は、少々異なります。
「やまとごとろ」には、儒教的な要素や武術的な要素はありません。
あくまでも穏やかな、「かんながら」の道による日本独自の霊性です。
「日本の霊性」さえ分かりにくいのに、「やまとごころ」って、なに?
何? それナニ? って感じでしょうか。
江戸時代、新井白石に続いて「邪馬台国」を研究し、初めて「古事記」の解読に成功した学者、本居宣長(もとおり のりなが 1730-1801)が、有名な「やまとごころ」の歌を詠んでいます。
宣長は、もはや解読不能に陥っていた「古事記」を解読するために、「万葉集」などを研究する中から、日本古来の「やまとごころ」が何たるかを感得したようです。
それが皆様もご存じの次の一句です。

「しきしまの やまとごころを ひととわば 朝日に匂う 山桜花」

「しきしま」というのは、古い日本の国名の一つです。
和歌では、「やまと」にかかる枕詞(まくらことば)ですね。
「たらちねの(垂乳根の)」ときたら、続いて「母」と詠むのと同様に、「しきしまの」ときたら、「やまと」と続きます。
これを単に、和歌における「技術的なセオリー」と考えると、「やまとごころ」の根っこがみえてこなくなります。

One-Point ◆ 「しきしま」というのは、奈良の三輪にあった第10代祟神天皇の宮、「磯城(しき)」に由来します。日本の古い国号の一つです。詳しくは後述します。結論的に書いておきますと、統一大和以前の「前やまと」を崇神天皇が治めていたために、「やまと」と詠むとき、鎮魂と敬意の心を込めて、「しきしまの」と枕するのです。


『源氏物語』の「大和魂」とは?

●「大和魂」という言葉自体は、紫式部が書いたとされる『源氏物語』の中に、すでに見られます。
紫式部は、平安時代の藤原氏、公家の娘でした。
この時代に「大和魂」という字面が出てきたとしても、江戸後期の武家による儒教や武道の「大和魂」とは、意味が異なります。
かたや「大和魂」と書いて、「やまとのごころ」のほうが近いのです。
かたや「大和魂」と書いて、勇ましい「やまとだま」または「やまとだましい」です。

《 古代日本語の「かみ」って? 》

話は、少々それます。
崇神天皇が出てきたついでに、歴史的な三代の天皇について述べておきます。
初代「神武天皇」、第10代「崇神天皇」、第15代「応神天皇」です。
この三代のみ、他とは違う特別な天皇です。
なぜ特別なのかは、「神(かみ)」がつくからです。
「神」? そんだけ?
古代日本人なら、そう思いませんので、引き続きご高覧を賜りたく存じます。
7〜8世紀の日本人が、かつての天皇に「神」という一字をおくる以上、そこには同じ天皇でも「特別な存在」という意味を込めています。
では、「神(かみ)」とは何でしょうか?
「神」という漢字は、日本の言葉ではありません。
古代日本語の「かみ」というものに近い、中国語の「神(シン)」を当てたものです。
そのため、日本古来の「かみ」を、中国式に「神仙」、西洋のユダヤ、キリスト教式に唯一の絶対なる「創造神(God)」ととらえると見えてこなくなります。
日本の「かみ」は、もっと身近なもので、単純にいえば「産み出すもの」を意味します。
上述の歴史的な三大天皇は、まさにその典型です。
天皇以外では、ただ一人、応神天皇の母、神功皇后(じんぐうこうごう)がいます。
この4人に、なぜ「神(かみ)」という字がおくられているのか、それは「国を産み出した天皇」また「母」という意味が込められているからです。

One-Point ◆ 余談ながら「やまのかみ」というのも、「山」がいろんなものを産み出すからです。草木はもちろん、鳥や動物も山が産み出します。川の水も源流をたどれば、多くが幽山深谷にて産み出されます。見方によっては、太陽や月や星さえ山から産み出されるように見えます。古代、「山」は「神(かみ)」だったので、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)のように三輪山、すなわち「山」など自然をご神体として、本殿を持たない神社は、由緒ある本物が多いのです。


神話上の初代は、頭に「神」

神武天皇と神功皇后

●頭に「神」がつくのは、初代「神武天皇」(左)と、応神天皇の母「神功皇后」(右)のみです。
本文でも書いたように、「神」という諡号(おくりな)は、「国を生み出したもの」という意味が込められています。
後ろに「神」がつく第10代「崇神天皇」と第15代「応神天皇」は、実在の大王(おおきみ)であるのに対し、頭に「神」がつく初代「神武天皇」と「神功皇后」は、神話上の人物であることを意味します。
こういったことを、『古事記』や『日本書紀』に書くことはできません。
書けば「記紀」を編纂する意味がなくなります。
当時の編纂にかかわった者のみが、暗黙的に了解してればいいのです。
そのため、編纂以前の古い「年記」は当てになりません。
中に4代の天皇が記されていますが、第10代崇神天皇が、先に国を治めていた「ニギハヤヒノミコト」、第15代応神天皇が、崇神から国譲りを受けた「ニニギノミコト」です。
ちなみに「ニギ」とは大和の「和」のことです。

《 歴史的な三大天皇の正体 》

信じられないかもしれませんが、続けます。
初代天皇には、当然のことながら「神」がつきますので「神武天皇」です。
頭に「神」がつくことにご注目ください。
その次に「神」がつく天皇は、第10代「祟神天皇」です。
この方は、実在の大王(おおきみ)です。
歴史研究の知識がある方ほど信じられないかもしれませんが、「祟神天皇」は、卑弥呼や邪馬台国の一族で、出雲を根拠とし、最初に畿内一円(前やまと)を治めていた大王で、別名「ニギハヤヒノミコト」です。
奈良にある日本最古の神社、「大神神社」すなわち三輪山に祀られる「大物主命(オオモノヌシノミコト)」、その人です。
「大神神社」は「おおみわ じんじゃ」と読みますが、古来日本語の「大(おお)」には「上位」や「先に」の意味があります。
「大兄皇子(おおえのおうじ)」といえば、先に生まれた長男の皇子という意味です。
なので、「大神神社」というのは、「先に国を産み出したもの(霊)を祀る社(やしろ)」ということになります。
つまりは、崇神天皇です。
上述のように「崇神天皇」の宮は、大神神社のある三輪の「磯城(しき)」にありました。
その「崇神天皇」から、治めていた「前やまと」の国を譲られ、皆様もご存じの統一大和を築いたのが、これも実在の大王ですが、崇神天皇の次に「神」の一字をおくられた第15代「応神天皇」(神武ことニニギノミコト)です。
「応神天皇」の母は、天皇でもないのに「神」がつく「神功皇后」です。
初代「神武天皇」と同じように、頭に「神」がつくことにご注目ください。
なぜ、頭に「神」がつくのかは、左の欄外をご覧ください。
彩られた多くの伝説を持つ「神功皇后」は、九州福岡(糟屋郡)で、応神天皇をお生みになられたとされます。
そこは現在、「宇美(うみ)八幡宮」があり、境内には「子安の木」や産湯をつかったとされる「産湯の水」が残されています。
ここでお伝えしたいのは、母子ともに「神」の諡号(おくりな)を持つこの二人こそ、統一大和を築いた初代の「かみ」と「天皇」だということです。
第15代応神天皇は、初代の神話「神武天皇」の実在モデルだったのです。
ちなみに、女房のことを「かみ」さんというのも、子を産み出すからです。

One-Point ◆ 西洋の神(God)は、唯一にして絶対の神です。人間とは遠く離れた高みにあって、近づけない神観を持ちます。これまでの双魚宮時代は、対立二元論の時代ゆえに、「絶対善の神」「堕落した悪なる人間」の善悪の構図が、世界的に受け入れられてきました。しかし、宝瓶宮時代は異なります。共鳴関係論の時代ゆえに、古代日本のどこにでもいる身近な、神ならざる「かみ」のほうが神観としては近いのです。

《 朝日に匂う山桜花 》

さて、「やまとごころ」の歌に話を戻しましょう。
本居宣長は、「やまとごころ」とは何か、と聞かれれば、「朝日に匂う山桜花」と詠んでいます。
そこに「やまとごころ」があるというのです。
「朝日に匂う山桜花」
文字のみを追っても、意味は分かりにくいでしょう。
イメージでとらえたほうが早いかもしれません。
日中、つねに太陽の光がさんさんと照っている時間帯には、あまり感じないのですが、夜明けは別です。
夜、冷たい暗闇の中、夜明け前になると、しだいに雄大な山のかたちが明らかになってきます。
私たちが当たり前に住み、生を営む大地の認識です。
やがて、朝日が顔を出すころ、日の光とともに、山川草木が浮かび上がり、大自然が息を吹き返します。
人間自身も、ほおに太陽の光の暖かさを受けて、生きている実感を再認識することでしょう。
このような時分が、すべてが生かされ、自分も生かされ、大自然の中に守られ存続していることを感じる朝日の頃です。
西行法師のように、なにごとかに「かたじけなさ」を感じる瞬間ではないでしょうか。
それを宣長は、「におう」と表現しました。
では、なぜ「山桜花」なのでしょうか。
「山桜花」は、一つの「やまざくらの花」なのか、あるいは「山桜」と「花」の二つなのか、それとも「山」と「さくらの花」なのか、そうではなく、個々バラバラに、「山」と、「桜」と、「花」と三つなのか…。
そんなことは、どうでもいいのです。
「山桜花」と渾然一体的に、すべてを分け隔てなくとらえてこそ、「やまとごころ」、すなわち「日本の霊性」を見いだせるのです。

「しきしまの やまとごころを ひととわば 朝日に匂う 山桜花」

One-Point ◆ これでいいのです。すべてを渾然一体的にとらえるのが「日本の霊性」です。
この霊性には、他人の痛みを自分の痛みとして感じることができる魚宮の性質をみることができます。自他を区別せずに受け入れます。また、それぞれの違いや個性を認めつつも、高貴も下賤もなく、老いも若きもなく、同じ人間として分け隔てしない水瓶宮の性質が秘められています。これらこそ日本人が共通に持つ古来からの「霊性」です。


「日本の霊性」と「はじ(恥)」

●右の本文に書いたように、日本人は、極度の「善悪」判断をしません。
清濁併せ呑む「魚宮」に通じる霊性がそこにあるからです。
では、何によって規律を保ったのでしょうか。
それが「かんながら」の道に沿わない「はじ」という考え方です。
後年、「はじ」に似た「恥(チ)」という漢字が当てられました。
本来は、人として大自然の道理や「天(ひ)の道」に沿わず、「端(はじ)っこ」を歩くような考えや行為です。
善と対立する100%圏外=悪という考え方ではなく、あくまでも同じ仲間内の中での「はじ」なのです。
せいぜい「八分」です。
人として道に沿わないことを「非道い」とも書きますが、度が過ぎると「村八分」にされてしまいます。
村のはじぶ(八分)だからです。
でも、圏外ではなく「八分」なので、殺しはしません。
それが「日本の霊性」です。

《 善悪判断をしない日本人 》

少し、補足しておきます。
ユダヤ教は、「モーゼの十戒」を旨とします。
「目には目を、歯には歯を」、「死には死を」、神の道を外れたり、戒律を守らないものには、厳しく罰します。
キリスト教プロテスタント、また近代のカトリックこそ、昨今の自由民主主義によって、自分たちの自由と権利が侵されないかぎり、すべてに「信教の自由」や「思想の自由」を認めています。
しかし、イエスの教えに燃えた初期キリスト教はともかく、中世のキリスト教は、自分たちの絶対神を信じるもの以外は、すべてが悪であり、ユダヤ教と同様に、異教徒は殺すことさえ善でした。
明確に「善悪」が区別されていたのです。
言い方は少し極端ですが、今の西洋式の学校教育「○×」式の判断や回答のように、善か悪かを判断をしていたといって過言ではありません。
一理はありますが、「日本の霊性」とは異なるものです。
このように自分たちの信仰以外、すべてを悪とするのは、それこそ「悪」なる旧い宗教のタイプです。
しかし、古来からの「日本の霊性」は異なります。
何でも例外はありますが、「日本の霊性」は、漢字を受け入れ、儒教を受け入れ、仏教を受け入れ、キリスト教を受け入れ、西洋科学をも受け入れ、その民族性によって、すべてを難なく受け入れてきました。
その中で、国体の先進性(個性、オリジナリティー)によって、「日本の霊性」に合わない部分は、「かんながら」の道にそって、しぜんと「やまと」化して渾然一体的に融合化してきたのです。

One-Point ◆ 朝日(あさひ)は、誰かれなく照らします。「日本の霊性」も同様です。昨今、新しいスピリチュアルの動きが、日本古来のパワースポットを巡ったり、由緒や因縁ある土地を訪れて浄化をしたり、古代の神々のエネルギーを新しい時代につなげたりしているのも、「日本の霊性」の復活が、今後の世界に必要だからです。
占星学的には、2009年に海王星が魚宮の影響圏に入るに伴って生じてきたものです。新スピリチュアル・ムーブメント、すなわち「クオリチュアル」の動きです。


※次は、朝日の「ひ」とも関係しますが、鬼道と卑弥呼の謎解きをします。卑弥呼こそ「日本の霊性」の原点です。また日本スピリチュアリズムの原点でした。そこに統一大和の成立によって、「日本の霊性」は確立していきます。



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