宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

★ 建国記念の日 特別編1 ★
女王卑弥呼と神武天皇の建国
― 日本的精神の原点 ―

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古代日本国家の成立は「謎」に満ちています。
卑弥呼や邪馬台国もそうですが、天皇(大王)政権の成立も「謎」です。
占星学を交え、日本のルーツの謎解きをお届けいたします。

「大和」の成立、カギを握る女性・平和、そして諸国連合

●第1稿 : 2011年 2月 8日アップ

宝瓶宮時代と古代日本国家の成立には、何か関係があるのでしょうか?
過去にこだわる必要はありませんが、意識の深層世界には、脈々とその精神性が受け継がれています。精神は、時空を超えて共鳴するからです。
今回は、「日本は何座宮?」の続編ともいえる特別編をお届けいたします。

《 歴史書には民族性が表れる? 》

なるべく話を簡潔にするために、細かなご説明は省きます。
そのため、すでに知識として知っている人にしか分からない箇所も出てくると思いますが、論旨は伝わると思いますので、よろしくご了承ください。
通称「魏志倭人伝」と、『古事記』や『日本書紀』は、古代日本をひもとく三大歴史書だといえます。
「魏志倭人伝-ぎしわじんでん」は、真面目さや真実を探究する蠍宮の民族性を持つ中国人が記したことから、比較的信憑性が高い反面、その国家意識からは、悪意はないものの尊大な「手抜き」が見られます。
『古事記』と『日本書紀』は、霊感と感性が豊かな魚宮の民族性を持つ日本人らしく、意図的かどうかはともかく、「空想(ファンタジー)」を交えた記述になっています。
どちらも「一字一句」にとらわれて解釈すると、事実を見抜けません。
一部を脚色しつつも事実である箇所と、筆不足の「手抜き」や「虚構(フィクション)」の箇所を見分けていくことが必要です。

One-Point ◆ 学者先生は、一字一句にこだわります。文芸家や作家は、自分の創作力を交えます。私は、占星学的解釈を交えます。いずれも一長一短あります。それをご理解の上、壮大な古代日本成立の精神に迫る独自の謎解きをお楽しみください。


「魏志倭人伝」ってナニよ?

●中国からみれば、「倭(日本)」は、華外の国です。
北狄(ほくてき)、南蛮(なんばん)、西戎(せいじゅう)と同じ野蛮人である、「東夷(とうい)」の一つとしか見ていません。
Mっ気のある日本人は、そういった「蔑称」に、「ウマイこと言うなぁ」と感心したり、「もっとイジめて」と無意識に悦んでいては、アキません。
そんな「倭」や、魏王が倭王に封じた「女王国」の概要を記したにすぎないのが、『三国志』の中の「魏書」の「東夷伝」の中の「倭人の条」というごく一部、つまりは「魏志倭人伝」です。
付け足しみたいなものなので、客観性はありますが、正確性はハンパです。

《 「和」の原点、卑弥呼と女王国 》

「魏志倭人伝」を読み解く上で、注意すべき点が2つあります。
一つは、中国人の関心は、卑弥呼(ひみこ)や邪馬台国(やまたいこく)にあるのではなく、「倭」や「女王国」にあったことです。
そこがポイントになっている、あくまでも中国人のための史書だということです。
それなのに、日本人の視点や関心から、「邪馬台国」の位置を探り出そうとするから、おかしくなるのです。
もう一つは、「倭」と「女王国」と「邪馬台国」の違いです。
蠍宮の民族性を持つ中国人は、明確に区別して書きます。
「魏志倭人伝」の中で「邪馬台国」の表記は、わずか1か所しかありません。
その内容の一つは、「女王の都するところ」です。
邪馬台国そのものが、女王国ではないことをご理解ください。
女王国の中で、「女王の都するところ」が「邪馬台国」です。
問題は、その女王が卑弥呼なのか、2代目の台与(とよ)なのか、はたまた別の女王なのかは、「魏志倭人伝」には明記されていないのです。
彼らの関心は、そんなところにはないので、当然です。
「女王国」とは、「倭」の中にあった諸国連合を意味します。
日本の歴史を見ていくと、「女王国」の統治形態が、のちの統一大和や日本国家の原型=プロトタイプになっていることが分かります。
日本の原点が、「卑弥呼」と「女王国」に象徴されているのです。

One-Point ◆ 初代女王が卑弥呼であり、2代目が台与です。台与以降に女王がいたのかは不明です。いずれにしても、鬼道を用いる卑弥呼を推戴(すいたい)し、諸国連合・女王国を建国したことが日本の原型になっています。そのため日本人は、「卑弥呼」や「邪馬台国」に我知らず、一種の原点回帰やルーツを求めて、関心を抱いてしまうのです。


古代天皇ゆかりの地「朝倉」

●福岡から、大分の県境・日田市へ東に進むと、大宰府、甘木、朝倉を辿ります。
そのとき、思いを馳せるのは、いつも古代の歴史と謎解きです。
その先を北東へ向かうと、比売大神、神功皇后、八幡大神(応神天皇)を祭神とする宇佐神宮があります。
宇佐市は瀬戸内海への玄関口。
難波・大和へ通じる、神武天皇が東征した道です。


朝倉

《 宗女・台与と卑弥呼の乖離(かいり) 》

倭国には、「女王国」だけではなく、それに属さない国や、敵対勢力がありました。
代表的なものが「狗奴国(こなこく)」です。
狗奴国の官(男王)は、「ここちひこ(狗古智卑狗)」とされていますが、一方で卑弥呼は同じ狗奴国の男王「ひみやこ(卑弥弓呼)」とは、前から不和だったと書かれています。
名前が異なることにご注目ください。
卑弥呼の代に、狗奴国の男王が変わったのでしょうか?
70〜80年におよぶ倭国大乱の後、女王に推戴された卑弥呼は、「年はすでに長大にして」と記されています。
最低10年は女王であったことは、年代の記述から確認できますが、さほど長く女王に留まってはいない可能性も出てきます。
すると、「ここちひこ(狗古智卑)」は、卑弥呼の死後、台与の時代の「狗奴国」の官(男王)の可能性が高いといえます。
つまり、「魏志倭人伝」の最初に書かれた「女王国」の記述は、卑弥呼の時代とはかぎらず、台与の時代の「女王国」なのかもしれないのです。
なぜなら、なるべく最新情報を踏まえて記すのは当然だからです。
これでは、日本人が「卑弥呼」や「邪馬台国」に関心をもって読んでも、錯綜してしまいます。
「魏志倭人伝」のメインテーマは、「倭」や、魏に朝献した「女王国」です。
実際、「卑弥呼」や「台与」が固有名詞として出てくるのは、「魏志倭人伝」も残り3分の1になった最後のほうで、重要度が低かったことが分かります。
また、卑弥呼が城柵に囲まれた宮室や楼観に住んでいたとは書かれていても、そこが「邪馬台国」とは書かれていないのです。
さらには、「邪馬台国」で女王が祭祀(さいし)を行なっていても、住居まで同じとはかぎりません。

One-Point ◆ ここで、「邪馬台国論争」は、さほど大きな意味を持ちません。重要なのは、日本が「女王」を推戴することによって、一度ならず二度までも平和がもたらされた、ということです。そして『古事記』や『日本書紀』で、日本建国の初代神武天皇のルーツが、天照大御神(あまてらす おおみかみ)という「女性神」であることです。『古事記』では、女性のほうから最初に声をかけると良くないことが記されていながら、実際には女性神をルーツとしていることは、「平和」と「統一日本」の原点に、紛れもなく女性が関与していることが読みとれます。


「邪馬台国」は複数あった!?

●あえて断言しましょう。
台与の時代、女王が都する「邪馬台国」は遷都し、「大和」に移っていました。
しかし、神武天皇の出自を九州におき、ルーツを天照大御神という「女性神」において、権威の正統化を図っていることから、女王卑弥呼が居住した本来の「邪馬台国」は、九州のどこかにあったはずです。
中国の郡史は、伊都国(福岡県糸島市)に留まりました。
「邪馬台国」の場所は、日本人に聞いて書いたものです。
では、防衛上の要地を正確に中国人の郡史に教えるでしょうか?
また、新旧、2つの邪馬台国の場所があり、国内情勢の変化によって遷都していたとしたら…。
そのことを知らなければ混乱し、記述はあいまいになってしまいます。
これでは「畿内説」と「九州説」で揉めるのは無理ないことです。

【参考】「南に水行20日で投馬国、水行10日陸行1月で邪馬台国」という記述から、『古事記』は、高千穂(宮崎県)を比定し、卑弥呼を日向(ヒムカ)になぞらえ神武天皇の出自にあてたようです。

《 天皇政権の正統性をどこにおいたか 》

『古事記』や『日本書紀』が、自らの元祖を神武天皇とその東征においていることは、注目に値します。
神武天皇の出自を大和ではなく、九州や西方にしたことは、当時、権力の正統性が九州にあったからです。
考えられる理由は、次の2つです。
1、当時の権力者集団の大半が、九州など西方の出身だったこと。
2、日本最初の統治者・卑弥呼が、九州など西方に住んでいたこと。
では、なぜ、『古事記』と『日本書紀』には、「卑弥呼」や「台与」、または「邪馬台国」や「女王国」の記述が見当たらないのでしょうか?
これにも、2つの理由が考えられます。
1、わざわざ書く必要がないほど、当然すぎる実態があったこと。
2、書くことは自分たちの権力の正統性に不都合があったこと。
両方とも正解なのですが、まず次のことをご確認ください。
卑弥呼を推戴した「女王国」の成立と、神武東征神話に象徴される実際の「天皇政権」の成立は、どちらが先かということです。
考える必要はありません。
歴史的にも「女王国」が先で、「統一大和」である天皇政権の成立が後です。

One-Point ◆ しかし、ことは少々複雑です。「天皇政権」の前に、曲がりなりにも「女王国」という諸国連合があったのでは、自分たちの正統性が薄れてしまいます。それゆえ『古事記』や『日本書紀』は、歴史から卑弥呼や「女王国」を抹殺しました。その代わりに、高天原などの神話に比喩させ、地上においては先の統治者・饒速日命(ニギハヤヒ)を立て、神武天皇(イハレビコ)は、ニギハヤヒから国を譲られたとして、日本統治の正統性があるとしました。


卑弥呼が用いた「鬼道」とは?

●卑弥呼は、「鬼道で、よく衆を惑わす」と書かれています。
「鬼」という言葉は、古代は「もの」ともいわれていました。
「もののけ」や「大物主神(オオモノヌシ)」、ときが下っては「平家物語」の「もの」です。「物語」とは本来、霊を慰めたり鎮めるためのお話です。
「たま」は、「豊玉毘売(ヒメ)」や「玉依毘売」など、魂(心)の意味で使われますが、「もの」といえば死者の魂、それもどちらかというと「怨霊」に近い意味を持ちます。
第37代斉明天皇の葬儀が、朝倉宮(福岡県朝倉市)で行われたとき、山に鬼がいて、人々が驚き怪しんだという記述が『日本書紀』にあります。
(朝倉山の上に鬼有りて大笠を著て喪の儀を臨み視る。衆、皆嗟怪ぶ)
また「鬼火」といえば「火の玉」のことですが、当然、「鬼」も「玉(魂)」も死者の霊を意味するものです。
卑弥呼の「鬼道」は、霊力を用いて相手の心や出来事を読み、人心を掌握していたものです。

《 小和から大和へ、日本建国の精神 》

では、「天皇政権」が完全に「女王国」を滅ぼして、統一大和を打ち立てたのでしょうか?
神武天皇に象徴される「天皇政権」は、「女王国」との融合政権です。
それゆえ、『古事記』や『日本書紀』編纂当時の権力者たちの大半は、「女王国」の末裔(まつえい)でもありました。
結局、統一大和は、「神武天皇」に象徴される人物を頂点とし、かつての諸国連合「女王国」建国による平和と同じように、さらに多くの諸国や部族の大連合によって日本を建国したのです。
それゆえ、「統一大和」には、ある意味、「女王国」が含まれており、わざわざ記載する必要がなかったのです。
変わったのは、TOPが女王から「神武天皇」に変わったことであり、女王の都であった「邪馬台国」の名称が、権力の継承の正統性を示すためにも、「ヤマト国」になり、統一大和=日本の名称になったことです。
それが大きな「和」と書いて、「やまと」と読む由縁です。
ちなみに小さな「和」は、卑弥呼による「女王国」です。
日本の原点が卑弥呼と女王国にあることがお分かりだと思います。

One-Point ◆ 事実とは多少の違いがあったとしても、ここでは「日本精神の原点」がどういうものか分かればいいのです。日本の原点は、他国の歴史のように、敵の王族を攻め滅ぼし、完全な専制王権による「支配・被支配」の統治ではないのです。宝瓶宮時代にも通じる、「連合」による和の統治です。アメリカ合衆国連邦による建国のはるか昔、日本では諸国連合の統治によって建国されていたのです。それゆえ、日本国家の国体は「水瓶宮」です。


注目!登場人物の秘密を解く

●『古事記』や『日本書紀』は、卑弥呼にあった国家統治の正統性を、神武天皇(応神)に正当化させるために、次のような仕組みで登場人物を描いています。
1、ルーツ
天照大御神…神話として女王卑弥呼。
神武天皇…応神天皇の先史的投影。
2、血統
玉依毘売・豊玉毘売(タマヨリビメ・トヨタマビメ)…実際の卑弥呼と台与の象徴。ただし逆順。姉妹だが結果、神武天皇の母と祖母の立場に位置づけている。
3、系譜
祟神天皇…大国主命=出雲大社、大物主命=大神神社、などに奉られる。多分、卑弥呼の一族の王。先の権力者。
4、功績
神功皇后…架空の卑弥呼、権威づけ。
応神天皇…実質上の「神武天皇」。
※神功皇后は、応神天皇の母に位置づけられる。功績と正統化を図る存在。

これらの人物をみると、祟神を除き、すべて九州に関係していることが分かります。

【参考】 安本美典氏が指摘したように、朝倉市周辺(福岡県)と、大和(奈良県)の地名や方位が激似なのも、ある時期の天皇が、朝倉周辺の出自だったことを意味します。
なぜなら、古代、命名の大権は、天皇が握っていたからです。

《 女王国成立の教訓と統一大和 》

答えは出たのですが、あえて補足しておきます。
なぜ、新興の「神武勢力」と、旧い「女王国」の勢力は、連立して「統一大和」を築いたのでしょうか?
それは「女王国」成立の体験によっています。
白羊宮時代の象意である「戦争」は、長引くほど、お互いに疲弊をもたらします。
狩猟と稲作を併用した弥生時代では、とくにそうだったに違いありません。
70〜80年もの間、長く続いた倭国大乱によって、このままでは生活維持も生産性も将来性もないことを悟り、卑弥呼を擁立して諸国連合・女王国を「建国」したのです。
時代の波動は、すでに双魚宮時代の「宗教」に移っていました。
それゆえ双魚宮時代らしく、「鬼道」を用いる卑弥呼を女王として擁立することによって、戦争をやめ、「和」の道を選んだのです。
卑弥呼の死後、男王が立ち、再び戦争が始まると、今度は卑弥呼の一族から13歳の台与を女王に立てて、再び「和」を結びました。
いくら現在の中学生とは違うとはいえ、13歳の台与が権力を持てるはずはなく「象徴」です。
それほと「戦争」を避けたかったのです。
そういった経験をしている「女王国」の人々は、「神武天皇」と徹底抗戦をして、三度(みたび)「戦争」が起こって長引くことを望みませんでした。
結局、「女王国」にならい、諸国大連合「統一大和」を建国することを選択したのです。
むろん、「神武天皇」に、かつての男王とは異なる人徳や統治能力をみたからでもあるでしょう。
象徴的な権威を戴いて「和」をなすのが日本国家成立の礎と国体であり、他国と違う日本の精神的原点です。

One-Point ◆ その後、さまざまな権力闘争や政権抗争があったとはいえ、宝瓶宮時代の現在、天皇は、卑弥呼と同じように宗教的祭祀(神事)を執り行い、国の平和と、世界と国民の弥栄(いやさか)を願う、私心なき権威として立っています。戦後の昭和天皇然り、今上天皇も然りです。そこに宝瓶宮時代の権威者に通じる友愛精神の姿を見ることができます。日本の民族性は「魚宮」であり鬼道を用いた「卑弥呼」に象徴され、日本の国体は「水瓶宮」であり「天皇制」に象徴されます。
日本は何座宮?」に書いたように「建国記念の日」が初代神武天皇が即位したとされる2月11日で、水瓶宮なのも象徴的です。



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