宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

西洋占星術の登場
―双魚宮時代の占星学―

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西洋占星術以前の「古代オリエント占星学」は、先に述べたとおりです。
今日の占いである西洋占星術とは、かなり趣きが異なります。
では、双魚宮時代の始まりと西洋占星術の成り立ちをみてみましょう。

双魚宮時代と西洋占星術の登場


西洋占星術イメージ

●第1稿 : 2006年02月01日アップ
●改訂稿 : 2009年07月11日アップ

広い意味で「西洋占星術」というとき、古代オリエント占星学や宝瓶宮占星学を含めることは可能です。
しかし、厳密な意味で「西洋占星術」というとき、占星学の歴史の中では、これからご紹介する双魚宮時代の占星学が「西洋占星術」ということになります。

《 双魚宮時代の始まり 》

大きな時代変化は、日常生活にいきなり現れてはきません。 数百年という長い年月をかけて、ジワリジワリと人類に影響を広げていきます。
双魚宮時代において最初に影響を受けるのは、人間の思惟(しい)です。感性や考えに新しい時代の影響はまず現れはじめます。
双魚宮時代の場合、その影響は、魚宮(双魚宮)の象意にそって、思想や宗教として現われてきました。
こういった新しい時代の動きは、一時は旧勢力から迫害されたり、闇に葬られたように見えても、時代の新しい「波動(流れ)」に適応しているため、最終的には知識層や為政者に受け入れられていきます。
そして、法律や技術など、日常的な文化や生活として定着していくのです。

One-Point ◆ 双魚宮時代の影響を読み解くには、白羊宮時代と同じようにシンボルマークからも知ることができます。双魚宮(魚宮)のマークは、逆方向を向いた二匹の魚を象わしています。それは、「魂と肉体」「善と悪」「愛と憎しみ」「神秘(オカルト)と現実」「宗教と科学」といった対立二元論の価値観として現れてきたのです。


魚座宮のシンボルマーク

《 世界宗教思想の台頭 》

では、双魚宮時代の始まりを告げる思想をご紹介しましょう。
紀元前500年頃、中国に現れた孔子(儒教の祖)は、「修身、斉家、治国、平天下」という男性的規範を唱え、白羊宮時代と双魚宮時代の思想の橋渡しであることが分かります。
同時期の老子(道教の祖)や約200年後の荘子の「老荘思想」は、孔子の教えをバカにして、方円の器に従い形を変える水のような存在や、権力や環境に柔軟に対応して生き長らえる女性や子供の生き方を優れているとしました。上善如水です
インド(現ネパール領)で、ほぼ同時代(諸説ある)に生まれた釈尊(仏陀=仏教の開祖)は、王位(国)を捨てて出家します。彼は、対立二元論に従って、現世から我欲や執着を捨てて諸法無我を悟ったのです。
後に仏教は、一切衆生の救済や双魚宮時代の象意の一つである「慈悲」を説きます。
白羊宮(牡羊宮)の象意である「国家・正義・闘争・男性」などから、「個人の重視・宗教や慈悲・柔の女性」への価値転換は、明らかに双魚宮時代の象意に基づいた思想的変化だったのです。
一方、古代オリエント(中近東)では、決定的な出来事が起こります。
紀元前4年頃に生まれたイエス・キリストは、数々のオカルト的な奇跡と同時に「愛」の教えを説きました。
自らその教えに殉じた十字架以後、その実体的精神に深く悔い改めた弟子らによるキリスト教は、やがてローマ帝国の国教となり、ローマ皇帝さえも信者としたのです。
ギリシャ哲学を教義解釈に取り入れたキリスト教は、徐々に全世界に広まり、双魚宮時代をリードする文化思想となっていきました。

One-Point ◆ 先の白羊宮時代において双魚宮時代の影響が出はじめたのは、紀元前530年頃からです。そして、プラトン年を提示したピッパルコスの生存末期、紀元前170年頃に双魚宮時代は始まりました。これが春分点の基点です。イエス後、ローマ帝国の領土がピークに達し、混乱や衰亡へと向かいはじめる紀元120年頃には白羊宮時代はその使命を終えたようです。


善悪二元論は双魚宮時代の特質

●双魚宮時代は、対立二元論の象意を持つ魚宮の価値観の影響下にあったため、「神」対「悪魔」といった善悪二元論を、私たちは当然と思い込んできました。
しかし、これは双魚宮時代の特徴として、人類社会に一時的に必要な価値観だったのです。
それゆえこの考えは、「宝瓶宮時代」が進むととともに消えていくか、昇華変質してまいります。

《 西洋占星術の登場 》

では、白羊宮時代の「古代オリエント占星学」から、双魚宮時代の「西洋占星術」へと移っていったのは、いつ頃のことでしょうか?
双魚宮時代の影響圏に入った紀元前500年頃、アケメネス朝(ペルシャ)は、「古代オリエント占星学」が発祥したメソポタミアを統合し、その後、ギリシャとのペルシャ戦争に至ります。
この戦争は、紀元前448年に和睦に至りますが、この頃「古代オリエント占星学」は古代ギリシャの学者らに受け入れられていったようです。
それまで国王の御用学だった「古代オリエント占星学」は、その知識レベルの高さからギリシャの学者先達らによって、医学をはじめ多分野に活用され、新たな変容と発展を遂げるに至りました。
それが「西洋占星術」の嚆矢(こうし)です。
占星学は、古代ギリシャの思想哲学を取り入れて高度に応用展開されていきました。
その後、古代ローマの天文学者プトレマイオス(83年頃〜168年頃)によって、西洋占星術の古典とされる『テトラビブロス』が著されます。
この頃には、すでにインド占星術と同じような四角い形ながら個人を占うホロスコープが登場していたことが分かります。
古典西洋占星術は、一部でキリスト教から否定されながらも、イスラム世界に流れたアラブ人などの占星術技法などを加えて中世ヨーロッパで発展していきます。

One-Point ◆ 医学の父・ピポクラテス(紀元前460年〜紀元前377年)もギリシャの著名な先達の一人です。例えば彼は「占星術を知らないものは、医学を語る資格はない」とさえ記しています。しかし、4世紀にローマ帝国の国教となり、世俗の権力をも握ったキリスト教によって一部で西洋占星術は異端とされています。

《 近世科学思想の台頭 》

こうして始まった双魚宮時代ですが、年月が経てば、否応なく宝瓶宮時代へと移行し、その影響が出てきます。
1545年、コペルニクス的転回と後年呼ばれた天動説から地動説への転回をコペルニクスはいったん提唱しますが、天動説を信じて疑わない中世カトリック教会(キリスト教)の批判を恐れて、「天体位置の簡易計算法」として発表するにとどまります。
約100年後、ガリレオは堂々と地動説を唱えたため、宗教裁判にかけられ有罪となります。そのガリレオや、ケプラーによって天文学は著しく発展していきました。近世科学思想の台頭です。
このような近世科学思想の発展と、18世紀に始まった産業革命によって、天文学と占星術はついに決定的に分離し、占星術は衰退していきました。

One-Point ◆ 大きな視点でみれば、体系化されていったものの占星学にとって双魚宮時代は、不遇な時代であったように思います。それは「天体学(Astrology=占星学)」でありながら占いである「占星術」として時代に同化して生き延びざるを得なかったからです。その風潮は、日本などにおいても顕著であることは皆様がご存じのとおりです。

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