宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

西洋占星術の登場
―双魚宮時代の占星学―

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古代ギリシャ以前の「古代オリエント占星学」は、先に述べたとおりです。
初期のアストロロジーもまた今日の現代占星術とはかなり趣きが異なります。
では、双魚宮時代のアストロロジーの成り立ちをみてみましょう。

双魚宮時代とアストロロジー(古典占星学)の発祥


西洋占星術イメージ

●第1稿 : 2006年 2月01日アップ
●改訂稿 : 2009年 7月11日アップ
●再改訂稿 : 2022年 3月28日アップ

広い意味で「西洋占星術」というとき、古代オリエント占星学や古代ギリシャのアストロロジー(通称:古典占星学)をふくめてさすのが一般的です。

それゆえ、わかりやすいように「西洋占星術の登場」と表題しましたが、古代ギリシャの「アストロロジー」と、一般に西洋占星術と呼ばれる「現代占星術」は別物です。

前者は、双魚宮時代(そうぎょきゅう じだい)初期の“学問”だったのに対し、後者は双魚宮時代末期の“占い”だからです。

学問(科学)と占いを同一視することはできません。

《 双魚宮時代のはじまり 》

大きな時代変化は、日常生活にいきなり現われてはきません。

数百年という長い年月をかけて、ジワリジワリと人類に影響を広げていきます。

双魚宮時代において最初に影響を受けるのは、人間の思惟(しい)です。

感性や考えに新しい時代の影響はまず現われはじめます。

双魚宮時代の場合、その影響は、魚宮(双魚宮)の象意にそって、思想や宗教として現われてきました。

こういった新しい時代の動きは、一時は旧勢力から迫害されたり、闇に葬られたように見えても、時代の新しい「波動(流れ)」に適応しているため、最終的には知識層や為政者に受け入れられていきます。

そして、法律や技術など、日常的な文化や生活として定着していくのです。

One-Point ◆ 双魚宮時代の影響を読み解くには、白羊宮時代(はくようきゅう じだい)と同じようにシンボルマークからも知ることができます。双魚宮(魚宮)のマークは、逆方向を向いた二匹の魚を象わしています。それは、“魂と肉体”“善と悪”“愛と憎しみ”“神秘(オカルト)と現実”“宗教と科学”といった「対立二元論」として現われてきたのです。


魚座宮のシンボルマーク

《 世界宗教思想の台頭 》

では、双魚宮時代のはじまりを告げる思想をご紹介しましょう。

紀元前500年頃、中国に現れた孔子(儒教の祖)は、「修身、斉家、治国、平天下」という男性的規範を唱え、白羊宮時代と双魚宮時代の思想の橋渡しとなりました。

同時期の老子(道教の祖)や約200年後の荘子の「老荘思想」は、孔子の教えをバカにして、方円の器に従い形を変える水のような存在や、権力や環境に柔軟に対応して生き長らえる女性や子供の生き方を優れているとしました。

「上善如水」という言葉は有名です

インド(現ネパール領)で、ほぼ同時代(諸説ある)に生まれた釈尊(仏陀=仏教の開祖)は、王位(国)を捨てて出家します。

彼は、「対立二元論」に従って、現世から我欲や執着を捨てて、諸法無我を悟ったのです。

後に仏教は、一切衆生の救済や双魚宮時代の象意の一つである“慈悲”を説きます。

白羊宮(牡羊宮)の象意である“国家・正義・闘争・男性”などから、“個人の感覚重視・宗教や慈悲・柔の女性てへの価値転換は、明らかに双魚宮時代の象意に基づいた思想的変化だったのです。

一方、古代オリエント(中近東)では、決定的な出来事が起こります。

紀元前4年頃に生まれたイエス・キリストは、数々のオカルト的な奇跡と同時に「愛」の教えを説きました。

自らその教えに殉じた十字架以後、その実体的精神に深く悔い改めた弟子らによるキリスト教は、やがてローマ帝国の国教となり、ローマ皇帝さえも信者としたのです。

その後、ギリシャ哲学を教義解釈に取り入れたキリスト教は、徐々に全世界に広まり、双魚宮時代をリードする文化思想となっていきました。

One-Point ◆ 先の白羊宮時代において、双魚宮時代の影響が出はじめたのは、紀元前530年頃からです。そして、プラトン年を提示したピッパルコスの生存末期、紀元前171年頃に双魚宮時代ははじまりました。これが春分点の基点です。イエス後、ローマ帝国の領土拡大はピークに達し、混乱や衰亡へと向かいはじめる紀元120年頃には、白羊宮時代の使命は終えたようです。


善悪二元論は双魚宮時代の特質

●双魚宮時代は、「対立二元論」を歴史パラダイムとした時代です。

そのような象意の魚宮の価値観の影響下にあったためです。

その代表格の宗教によって、“神”対“悪魔”といった“善悪二元論”を、私たちは当然と思い込んできました。

しかし、これは双魚宮時代の特徴として人類歴史の一時的に、人類の精神意識のレベルアップのために必要な価値観だったのです。

それゆえ、この考えは宝瓶宮時代(ほうへいきゅう じだい)が進むととともに消えていくか、昇華変質してまいります。

《 西洋占星術の登場 》

では、白羊宮時代の「古代オリエント占星学」から、双魚宮時代のアストロロジー(通称:古典占星学)へと移っていったのは、いつごろのことでしょうか?

双魚宮時代の影響圏に入った紀元前500年頃、アケメネス朝(ペルシャ)は、「古代オリエント占星学」が発祥したメソポタミアを統合し、その後、ギリシャとのペルシャ戦争に至ります。

この戦争は、紀元前448年に和睦に至りますが、この頃「古代オリエント占星学」は古代ギリシャの学者らに受け入れられていったようです。

それまで国王の御用学だった「古代オリエント占星学」は、その知識レベルの高さからギリシャの学者先達らによって古代ギリシャの世界観「四大元素説」をベースとした最先端の学問(科学)「アストロロジー」(通称:古典占星学)として発展します。

医学をはじめ多分野に活用され、新たな変容と世界的な拡散を遂げるに至りました。

それが、誤まって“西洋占星術”と呼ばれる古代ギリシャの「アストロロジー」です。

通称「古典占星学」と呼ばれているので勘違いされてもやむをえないのですが、「アストロロジー」(Astrology)を直訳すれば、「天体学」「星の科学」が正解です。

「アストロ」(Astro)は「星」(天体)のことで、「〜ロジー」(-logy)は「〜学」(学問)なので、そうなります。

どこにも「占い」といった字義はありません。

アストロロジーと占星術は、≠(ノット・イコール)なのです。

古代オリエント占星学(天体観測)をベースに、古代ギリシャの思想哲学や世界観「四大元素説」に基づく「基礎理論」(ホロスコープ理論)によって、「アストロロジー」(通称:古典占星学)として高度に発展していきました。

主に東の地平線上を観測して時の到来を告げた「古代オリエント占星学」から、全天球の星を観測して配置した四角い「ホロスコープ」が誕生します。

その後、古代ローマの天文学者プトレマイオス(83年頃〜168年頃)によって、一般に“西洋占星術”の古典とされる『テトラビブロス』が著されます。

一部でキリスト教から否定されて、一時はイスラム世界に流れ、そこで独自に解釈された技法などを加えて、中世ヨーロッパで再び発展していきます。

One-Point ◆ 医学の父・ピポクラテス(紀元前460年〜紀元前377年)はギリシャの著名な先達の一人です。彼は「アストロロジーを知らないものは、医学を語る資格はない」とさえ記しています。しかし、4世紀にローマ帝国の国教となり、世俗の権力をも握ったキリスト教によってアストロロジー(通称:古典占星学)は異端とされています。



《 近世科学思想の台頭 》

こうしてはじまった双魚宮時代のアストロロジーですが、年月が経てば、否応なく宝瓶宮時代へと移行し、その影響が出てきます。

1545年、コペルニクス的転回と後年呼ばれた天動説から地動説への転回を、コペルニクス(1473-1543)はいったん提唱しますが、天動説を信じて疑わない中世カトリック教会(キリスト教)の批判を恐れて、「天体位置の簡易計算法」として発表するにとどめます。

約100年後、今度はガリレオ(1564-1642)が堂々と地動説を唱えたため、宗教裁判にかけられて有罪となります。

そのガリレオやケプラー(1571-1630)によって天文学は著しく発展していきました。

近代科学の台頭です。

このような近代科学の発展と、18世紀にはじまった産業革命によって、近代天体学や天文学と当時すでに占いとして延命を図っていた「古典占星術」はついに決定的に分離します。

結果、古代ギリシャの「四大元素説」は近代科学によって“疑似科学”(迷信)とされ、アストロロジー(古典占星学)の理論を踏襲していた古典占星術も衰退に向かいました。

One-Point ◆ 大きな視点でみれば、古代ギリシャの思想哲学によって「アストロロジー」として体系化されたものの、双魚宮時代は不遇な時代であったように思います。それは天体学(Astrology)をベースとしながらも、“占星術”として時代に同化して生き延びざるを得なかったからです。このことは、1846年の海王星の発見によって古代ギリシャの基礎理論を捨てた、皆さまご存じの「現代占星術」の萌芽へとつながっていきます。

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