宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

古代オリエント占星学
―西洋占星術の成り立ち―

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ここからは、時代の移り変わりと「占星学」の変遷をご紹介してまいります。
最初に占星学が確立された白羊宮時代の状況を見てみることにしましょう。
「西洋占星術」とは違った占星学をご理解いただければと思います。

白羊宮時代の古代オリエント占星学


古代オリエント占星術イメージ

●第1稿 : 2006年 2月 1日アップ
●改訂稿 : 2009年07月10日アップ

広い意味で「西洋占星術」というとき、白羊宮時代の占星学も、双魚宮時代の西洋占星術も、宝瓶宮時代の新しい西洋占星術=宝瓶宮占星学も含めることができます。
しかし、厳密に書けば、「占星学」の一形態が双魚宮時代の西洋占星術です。
この西洋占星術の元となる占星学が確立されたのは、紀元前の白羊宮時代でした。
この時代、天体観測の起点となる春分点が、おひつじ座(Aries)にあったため、最初のサイン(Sign=宮)を、牡羊宮(Sign Aries=白羊宮)と呼ぶようになりました。

《 「宝瓶宮占星学」への序章 》

占星学の揺籃(ようらん)から約4,000年ほど経った今日、これまで約2,160年続いた双魚宮時代は、すでにその影響力を失いつつあります。
とはいえ、人の意識に、双魚宮時代の習慣や価値観が残っていますので、新しい宝瓶宮時代の文化や生活に完全に移行するには、もうしばらく時が必要です。
占星学も同じです。双魚宮時代の西洋占星術から、宝瓶宮時代の新しい西洋占星術=「宝瓶宮占星学」に変わっていくには、相応の時を経なければなりません。
では、なぜ変わるのか? という疑問にお答えするために、占星学の変遷を簡単に見てまいりましょう。

One-Point ◆ 西洋占星術による大まかな時代区分については、前のページの「宝瓶宮時代」をご覧ください。春分点の移動に由来するプラトン年(グレートイヤー=約25,920年)を「1年」として、12に分けたものをプラトン月(グレートマンス=約2,160年間)といいます。この月が「白羊宮時代」や「双魚宮時代」や「宝瓶宮時代」などです。通常のサイン(宮)の順番とは逆回りに移動していきます。


古代バビロニアでの占星学

メソポタミア周辺

●世界四大文明発祥の一つチグリス・ユーフラテス川の周辺に古代バビロニアはありました。 ここの知識階層カルデア人の天体観測によって、占星学は発達していったとされています。

《 古代占星学の発祥 》

白羊宮時代は、紀元前2,000年ほど前から始まりました。
宝瓶宮占星学が解き明かした春分点の基点に従って厳密に書けば、紀元前約2,330年前になります。
白羊宮時代以前の金牛宮時代の古代エジプトにも天体観測はありました。
しかし古代バビロニアの知識階級であったカルデア人の天体観測によって、今の西洋占星術の基礎が確立されたのです。
古代バビロニア帝国が築かれたメソポタミア地方は、日本から見れば西洋方面ですが、ヨーロッパから見れば東洋(古代オリエント=現代の中近東)です。
そのため、この時代の占星学は、正しくは「西洋占星術」ではなく「古代オリエント占星学」と呼ぶべきです。
この占星学が「西洋占星術」となっていくのは、白羊宮時代の末期、すなわち双魚宮時代の前史である紀元前530〜紀元前170年にヒポクラテスや、双魚宮時代に入った紀元前170年以降にプトレマイオスといった古代ギリシャの先達たちが、自らの学問に占星学を取り入れて、先の双魚宮時代に一般に広まったことに発します。

One-Point ◆ アレキサンダー大王で有名な紀元前300年頃のアレクサンドロス帝国の時代、高度な知識階級のカルデア人は、1年の長さが365日6時間11分であることや、月の満ち欠けが29日12時間44分であることを知っていました。カルデア人は当時の最先端の科学集団だったので、彼らの高度な知識や占星学は古代ギリシャの学問や哲学に取り入れられていきました。


星の運行と地上の出来事

●一方でカルデア人は、星の運行と地上で起きる出来事とが、何らかの関係にあることを見抜きました。
それは、今日の西洋占星術には遠く及ばないものの国王に進言していたのです。
これらが古代ギリシャで理論体系化された古典西洋占星術や、海王星発見以降、19世紀末によみがえった現代のオカルトチックな西洋占星術につながっていきました。

《 古代オリエント占星学は占いではなかった 》

白羊宮時代、カルデア人による「古代オリエント占星学」は、今の占い同然の西洋占星術とは、かなり趣きが異なります。
古代オリエントの占星学は、占いというより、国王の御用学に近く、国家にとって必要不可欠な役割を果たしていました。
四季の変化の乏しい古代オリエントでは、種まきの時期や河川の氾濫の時期など、為政(国のまつりごと)のためには「時」を知ることが重要でした。
そのためには、いつを年の始まりとするか定めなければなりません。それが春分点(牡羊宮の0度)だったのです。
現代でいう「春分の日」、毎年の3月20日〜22日に当たります。それが古代バビロニアの1年の始まりでした。
カルデア人は星を観測して、春分点を起点に「時」を観測しました。そうしてカルデア人は、国王に為政のために必要な「時」を教えていたのです。
それは現代でも同じです。
現代ではカレンダーがあって、1年の始まり1月1日が定められています。
それゆえ今日は何月何日か、年度の始まりや、平年とどれくらい気候が違うか、あと何日で春が来るか、または秋になるのかなど、誰でも簡単に知ることができます。
私たちの生活に欠かすことのできない「カレンダー」は、その語源が「カルデア人」に由来していると言えばお分かりでしょうか。
このように白羊宮時代の「古代オリエント占星学」は、現代の吉凶判断やオカルト的な庶民向けの西洋占星術(星占い)とは、根本的に違ったのです。

One-Point ◆ 現代の占星学会の中にも、西洋占星術(占星学)が単なる占いに堕するのではなく、かつてのように国家に役立つようになるべきだという意見もあるようです。このような実学としての占星学の復権を願う声は、宝瓶宮占星学の流れと軌を一にするものです。


牡羊座宮のシンボルマーク

《 牡羊宮(白羊宮)のシンボルマーク 》

白羊宮時代の「古代オリエント占星学」が、国王や為政のためであったということは、白羊宮(牡羊宮)のシンボルマーク(牡羊の頭部といわれること)からも読み取れます。
牡羊宮の象意が「正義」や「闘争(進取=リード)」や「頭部」であることは、西洋占星術を勉強したことのなる方ならご存じだと思います。
同様に、この時代の「占星学」は、国のトップ(頭部)である国王や、政治(規律・正義・闘争)のため実学として時代を進取(リード)していたのです。
さて、白羊宮時代がいつからいつまでかということは、一般的には正確なところは分かっていません。
しかし、宝瓶宮占星学では、宇宙的時代区分、白羊宮時代や双魚宮時代の元となるプラトン年(グレートイヤー)を提示したピッパルコスの生存年と、宝瓶宮時代の始まりを告げる「宝瓶宮時代のビックバン(1989-1990年)」を裏付ける星の配置やそれらに見事に符合するさまざまな社会事象から、双魚宮時代の始まり、すなわち春分点の基点が紀元前170年であることが分かります。
それゆえ、白羊宮時代は紀元前2,330年頃から紀元前170年になります。
詳しくは、「宝瓶宮時代の根拠」や「近未来予測=基礎編」「近未来予測=実際編」などをご高覧ください。

One-Point ◆ ちなみに、双魚宮時代が始まったのち、質実剛健なローマ大帝国建国の紀元前100年頃から、その精神が失われていった紀元100年頃までの200年の間くらいに白羊宮時代の影響は、ほぼ完全に終わったといえます。

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