宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

連載 占星学から解く日本の原点
その5:古代オリエントの影響
−大陸や半島以前に渡来した民族 −

HOME占星学から解く日本の原点 > その5:古代オリエントの影響

今回は、世間一般に誤解も多いので書くかどうか迷いました。
大陸や半島以前に日本の原点にかかわりを持つ古代オリエントのお話です。
かといって「シュメールが起源」といった荒唐な極論ではありません。

古代日本の礎にかかわる物部一族と古代オリエント

↑ フェニキア人のアフリカ一周。

●第1稿 : 2015年01月17日アップ




おことわり
※本連載は、一段落した時点で、内容確認とリライトをいたします。
そのため、場合によっては、内容の一部が変わることがありますので、あらかじめご了承ください。

先回、すばる(昴)ことプレアデスが、海人族(あまぞく)の国「日本」で何という神の名で呼ばれているか見つけられないでいます、と書きました。
「天照大神」が身につけていた五百箇の「御統(みすまる)の珠(たま)」は、珠を一つに「統(す)べる」ことから「御統(みすまる=すばる)」と呼ばれているのですが…とも。
ここまで書いていて気づかなかったのですが、答えは意外なことに「天皇」ご自身の可能性が出てきました。

《 天皇「すめらみこと」 》

まず、「すばる」について書きます。
そのうえで、本題の古代オリエントと日本の原点との関連を書いてまいります。
日本の原点となる文明を築いたのは、日本原住の人々を除けば、大陸や半島以前に、南方の島々のポリネシア系民族や古代オリエント系の人々がいます。
日本に影響をもたらした「古代オリエント系の人々」は、複数の民族がかかわっているのですが、彼らの中に「すばる(昴)」ことプレアデスを航海の目印とした海の一族がいました。
「すばる」という名前は、ご存じのように、目視でも6個〜7個の星々が一つにまとまって「星団」を成していることから、一つに「統(す)べる」という意味で、「すべる」から「すばる」という名前がついています。
それは、天下を統一し、日本を一つにまとめて治めることにも転化されています。
たとえば、天下を統べた戦国武将といえば「織田信長」です。
そのため、古代日本をまとめた大王すなわち「天皇」の古い呼称を「すめらみこと」と申し上げることがあります。
「みこと」は「貴い人」という意味です。
「すめら」は、「統(す)める」すなわち「治める」という意味なので、「すめらみこと」は日本を「統(す:治)める貴いお方」という意味を持ちます。
結局、天皇(大王)こそが「すばる」(昴)ことプレアデスにかかわる神の名だったのです。
なので、他の神々を「すばる」になぞらえて呼ぶことはありません。
これでは『古事記』や『日本書紀』の中に、「すばる」が何という神の名で呼ばれているか探しても見つけられないのは当然でした。

One-Point ◆ 先回、「その4:海人族と星の神々たち」の中で、神社のご祭神なら「天須婆留女命(あめの すばる めの みこと)」がいらっしゃいますと書きました。この天須婆留女命が、伊勢の正宮「皇大神宮」の摂社「棒原神社」(すぎはら じんじゃ)の主祭神の一柱として祀られているというのは、うなづけることになります。要は、天皇(大王)のお后(きさき)などにあたる女性神です。

《 古代オリエントの人々 》

さて、お話はここからが本題です。
書くべきか、書かざるべきか、一時は考えましたが、やはり書いておきべきと結論しました。
戦後、「日本の原点」は誤って大陸や半島だとする風説が主流になりました。
そのような風潮や反日的な教育の中で、いまだに信じ込んでいる方には残念ですが、間違いです。
たしかに、大陸や半島の影響が一時期、古代日本にあったのは事実です。
しかし、それは付随的なもので、DNAからみても日本人独自の先祖ではなく、また日本文明の「原点」でもありません。
彼らは3〜4世紀頃、さらにさかのぼれば紀元前4世紀頃に大陸から渡来してきて、部分的に影響を与えてはいます。
それは功罪相半ば、毀誉褒貶があるのですが、決して日本の原点をなす惟神(かんながら、神道)ではないのは自明で、逆に日本の原点である「和」を乱し、日本に「混乱」や「争い」をもたらした悪影響を見逃すことができません。
かの国の影響を受ける以前に、『古事記』や『日本書紀』などの記紀で、初代「神武天皇」の東征が行なわれたとされた時代、すなわち紀元前7世紀頃の時点で、すでに古代オリエントの「航海術」や「製鉄の技術」また「祭祀」が遅くとも古代日本にもたらされていました。
それらは、日本原住の人々にも影響を与え、ともに日本文明の原点を築いていきます。
もう少し具体的に申し上げます。
「航海術」は、フェニキア人によってもたらされました。
彼らは、海洋国家「古代日本」の動脈ともなった「海人族」を隆盛に導き、大きな役割を果たしていきました。
「製鉄の技術」は、「海の民」によって滅ぼされたヒッタイトの技術によってもたらされています。
その製鉄の跡は、大陸にも半島にもない古代オリエント式の製鉄が行なわれた跡が、かつての「豊の国」、初期の海人族の拠点でもあった国東半島に放射性炭素年代測定の結果、紀元前7世紀頃のものとして残されています。
また神道系の「祭祀」には、古代イスラエル系の民族の影響がうかがわれるのは、もはや周知の事実です。
ただし、戒律の厳しい「ユダヤ教」ではなく、異教も認めていたソロモン王の古代イスラエルの影響です。
上述の三者が、栄華を極めたソロモン王の時代、フェニキア人の船によって、インド、東南アジア、日本と、いわば後世の「海のシルクロード(スパイス・ロード)」を通って、文化や技術を日本に伝え、その一部は海洋国家「日本」に定住したものです。
後年、大陸や半島の人々が、古代日本に逃亡してきたり、のっとろうと渡来してくる以前に、より進んだ古代オリエントの部族によって、日本には東西の融合文化が部分的だとしても息づいていたのです。
なぜ、このことが周知されなかったのかというと、戦後、日本を統属下においたGHQ(General Head Quarters=連合国総司令部)がかかわっています。
また、GHQが当初、容認していた共産主義者とそのシンパたちの「歴史観」が一役かっています。

One-Point ◆その1:日本精神のリバイバル」に書いたとおり、共産主義にかぶれた進歩的文化人らは、「地上の楽園」と仰いだ共産主義国「北朝鮮」や「中国」を理想の国とし、かの国々こそが「日本の原点」であるとプロパガンダ(政治宣伝)を展開しました。それは日本を共産主義化すべくマスコミをはじめ、宗教や精神性を抜きに「資本家(権力)vs労働者(大衆)」という単純な権力対立の図式で歴史(日本史)を解釈する「マルクス史観」の歴史学者や日教組などが、学校教育を行ない「洗脳」してきたのです。その残滓が、今も消えずに残っているのは、一部の出版物やWEBサイトをみれば明らかです。


《 GHQの「天皇」の起源調査 》

戦後日本を統治し君臨したマッカーサーは、その権力をもって、誰も見ることができない伊勢神宮の秘密や、仁徳天皇陵(大仙陵古墳)を調査しています。
そこでマッカーサーは、「日本の原点」に触れて驚き、口を閉ざします。
伊勢神宮には、三種の神器の一つ神鏡「八咫鏡(やたのかがみ)」はもちろん、古代天皇(大王)にかかわる秘密が保存されているはずです。
そのうえでGHQが、さらに行なったことがあります。
それは戦争にかかわる書籍の没収や禁書また検閲ばかりではなく、「天皇」の起源が古代オリエントだとする書籍を一般国民からも提出させて、根絶やし的に「焚書(処分)」してしまったのです。
それでも、もし所持していた場合は、ウソかマコトか「強制労働」だと脅したという説さえあります。
当時は「白人優位主義」が残っていた時代です。
「白人」とくにキリスト教徒こそが、唯一神(The GOD)に選ばれし民(選民思想)で、世界を治め、支配する権利を持つとする考え方です。
そのような白人(露西亜=旧ロシア)との戦争に、世界で初めて勝った日本人といえども、劣等民族の「黄色い猿(イエロー・モンキー)」だとみていた時代でした。
そういった支配されるべき非選民、すなわち異教の日本人が、アジアを植民地化していた西欧列強を「大東亜戦争(太平洋戦争)」によって追い出したのは、彼らにとっては「神の摂理」に反する不義でした。
また、それ以上に、自分たちがかつて異教徒たちに行なってきたように、「皆殺し」にされるかもしれないという恐怖心もあったのです。
ところが、調査の結果は明らかにされていませんが、古代天皇がキリスト教(『新約聖書』)の原点である『旧約聖書』の舞台となった古代オリエントにかかわっていたことは、ウソでもマコトでも、どちらであっても広まってはまずい事実でした。
「ウソ」であれば、古代オリエント起源説は、当然「神への冒涜」であり間違いです。
「マコト」であれば、それは西洋民族の歴史や優位が引っくり返るほどの事実で、戦争の「大義」にも「占領」にも支障が出かねません。
どさくさまぎれに、他の書籍と一緒に没収処分が行なわれたのは、やはり後者に分がありそうです。

One-Point ◆ というか他の状況からみても、真相は後者です。伊勢神宮に何が残されていたのかは不明ですが、初代「天照大御神(男性神)」にかかわるものであれば、それは物部氏にかかわります。結局、「天皇」の死刑が優勢だった処遇は、独断で決めるなと本国から通達されていたにもかかわらず、マッカーサーは「天皇」の存続を決めたのは、日本の戦後統治に利用したという「通説」だけではなく、やはり伊勢神宮や仁徳天皇陵(大仙陵古墳)の秘密を知って、神(The GOD)を畏れたことにかかわっています。


《 独自的な日本文明 》

さて、ですが、日本の起源や「天皇(大王)」の起源が「シュメール」だとするのは、バカげたお話です。
上述した「すめら」が「シュメール(スメル)」だというわけではないと思いますが、それは世界の国々の王たちの起源が、最初のDNAを有したアフリカ人だというに等しいお話です。
皇室の菊花紋(16八重表菊)にしても、花や星をデザイン化したものなので、シュメール以外の地域にも散見することができます。
それはともかくとして、古代の日本の一部に、古代オリエントの文化や技術の影響があったというのは事実です。
ただ、それを即、「日本の起源」だとまでするのは思い込みであって、いくぶんなりとも無謀な論理です。
航海術を伴った古代オリエントの民族は、日本にかぎらず、極東アジアの国々にも来ています。
その中で、すべてを受け入れていく魚宮の民族性を持った古代日本の原住民族が受け入れ、両者は「海」を共通項に融合していったのです。
当然、大陸や半島の排他的な国々よりも、彼らにとっては、海洋国家「日本」のほうが周りは「ホームグラウンド」の海なので、安全でもありました。
ましてや、「自分が世界の中心」とする思想を持った民族や、「私がイチバン」と虚勢を張って大国に従い、その威を借りて生き延びざるをえない民族とは、精神性が異なるのです。
日本は、魚宮の民族性によって「無私の精神」を持ち、また水瓶宮の国体によって「和(絆、友愛)の精神」を持ちます。
「大海原」のようにすべてを受け容れて、かつ昇華していったのが日本です。
近代を例に挙げれば、精神文明は失わずに、西洋の文化や技術を受け入れて、いち早く近代化を成し遂げていった「和魂洋才」があります。
同様に、古代日本も、古代オリエントの文化や技術を受け入れて、融合していったのです。
なので、融合や昇華また影響を受けたというのが正しい落としどころであって、「シュメール起源説」や「アラブ起源説」また「日ユ同祖論」というのは極論です。
また、イエスが東北に逃れてきたので、ユダヤと日本は関係があるというのは、矛盾したお話です。
イエスは、ユダヤ教に殺された側の人物です。
ディアスポラを戒律を遵守したゆえに民族のアイデンティティーを保てた一神教のユダヤ教(ユダヤ人)が、もし日本人の先祖(同祖、起源)だというのなら、日本人は豚肉を食べていません。
魚も、ウロコやヒレのあるもの以外は、食べていないはずです。
さらには、仕事さえしてはいけない「安息日」を、日本人は守っていなければなりません。
かつて宗教には厳しい戒律が課せられていましたので、当然そうなっているか、その名残りがあるはずです。
なので事実は、「航海術」や「製鉄技術」また日本と同じ大自然を崇める「祭祀」の影響を受けたということであって、「起源」また「同祖」ではなく、古代日本の原点の一部を成しつつ「日本文明」に影響したというのが正しい認識です。

One-Point ◆ 日本文明は特殊です。ヨーロッパ文明とも異なり、アジア文明とも異なります。宝瓶宮時代を先取りする独自の文明が、すでに花開いていました。それは権力者の文明ではなく、平民も平等な文明で、誰もが知っている例を挙げれば、『万葉集』にみられるように、天皇(大王)も、また読み人知らずの無名な一般人も平等に扱われ、また『源氏物語』のように、時の権力者を揶揄した男女平等の女流文学が世界に先駆けて花開いています。他国のように、権力者が人民を搾取し、あたかも一方的に支配したかのように誇張した「ウソ」を教えたのは、戦後の進歩的文化人(昨今の反日的文化人)や、朝日新聞のような偏向マスコミ、すなわち「対立二元論」の共産主義思想に傾倒したマスコミや学者文化人と日教組の教育です。そのような誤った「反日」また「矮日」思想は、もう終わりにしなければ、すでに「戦後(1989年までの「双魚宮時代」)」とは状況が変わった「昨今(イン・ジ・アクエリアス、宝瓶宮時代)」の国際情勢にも、また、まもなく訪れる「精神意識の変革」のディレクションにも、うまく対応しにくくなります。


●ユダヤ教のはじまりの時期

ユダヤ教の「戒律」は、紀元前1280年頃、奴隷となっていたヘブル人(イスラエル民族)を、モーセがエジプトから脱出させ、シナイ山で神ヤハウェと結んだ契約「十戒」を嚆矢とします。
しかし、「ユダヤ教」の成立は、南ユダ王国が紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされて、バビロン捕囚から解放された紀元前538年ののち、エルサレムに神殿を再建し、「儀礼」と「律法」を遵守することによってはじまったものです。

《 古代イスラエルの滅亡 》

One-Point ◆ 上図は、本文に出てくる古代オリエントの国名です。古い国から順番に、1、シュメール →2、古バビロニア王国 →3、ヒッタイト帝国 →4、フェニキア →+5、古代イスラエル王国 →6、アッシリア帝国 と興亡盛衰を繰り返します。そのアッシリア帝国もアケメネス朝ペルシア(基礎から学ぶホロスコープ「第2回:12サイン(宮)の登場」の地図ご参照)に併呑されていきます。


最後に簡単に、古代オリエントの流れを記しておきます。
シュメール文明やアッカド帝国が栄えたメソポタミアで確認されている最古の文化は、紀元前5500年ほど前にはじまったウバイド文化です。
「シュメール都市文明」は、その後、紀元前3200年頃からはじまります。
そのシュメールに侵入したアムル族は、紀元前1830年頃に「古バビロニア王国」を建国します。
一方、紀元前18〜17世紀頃には、高度な製鉄技術を持ち、世界で最初の鉄器文化を築いたといわれる「ヒッタイト帝国」が現在のトルコあたりに興ります。
そのヒッタイト帝国は、紀元前1530年頃、古バビロニア王国を滅ぼしました。
しかし、強国ヒッタイト帝国も、また紀元前1190年頃に地中海沿岸を暴れまわった「海の民」によって滅ぼされてしまいます。
この時期、地中海沿岸で海上交易を盛んに行ない、古代オリエントの文化をヨーロッパやアフリカ北岸の国々に伝えたのは、航海術に優れたフェニキア人でした。
なので「海の民」の主役となったのは、フェニキア人だと考えられます。
ヒッタイト帝国が滅亡したのち、フェニキアに接した南側の空白地帯、現在のイスラエルあたりに、紀元前1021年頃、サウル、ダビデ、ソロモンの三代王で有名な「古代イスラエル王国(ヘブライ王国)」が誕生します。
この国は、ソロモン王の時代に栄華を極め、壮麗なエルサレム宮殿を築くなど、フェニキア人とも手を組んで、版図を広げ、全盛期を誇っています。
古代イスラエル王国は、アカバ湾に接し、紅海からインド洋に出て、交易をおこなうことが可能でした。
事実、フェニキア人は、アフリカ南端の喜望峰を回って航海をした記録があります。
野心家ソロモン王は、採鉱や金属精錬の大事業を図り、外国との交易を広げるなど、航海術に優れたフェニキア人を活用しています。
彼らがインド洋を通り、東南アジアを経て、のちの「海のシルクロード」と呼ばれたルートを経由して、古代日本はもちろん、広く環太平洋の地域に影響を与えたことは数々の史跡からみてもうなづけることです。
その古代イスラエル王国も、ソロモン王の死後、紀元前922年に分裂し、北イスラエル王国と南ユダ王国に分かれます。
その北イスラエルも、わずか200年後の紀元前722年に、勢力を誇ったアッシリア帝国によって滅ぼされていきます。
当然、そのとき広く海外に交易に出ていたイスラエルやフェニキアの人々は、帰る場所を失いました。
彼らは安住の地を求めて、再び東へと、船出をしていったのは、想像にかたくありません。
ちなみに、記紀に描かれた初代「神武天皇」が、東征をして、橿原の宮で即位をしたのは、紀元前660年(一説では紀元前711年)とされています。

One-Point ◆ 初代「神武天皇」は架空の人物です。そのころには、すでに古代オリエントの影響を受けた文化が、古代日本の沿岸地方や川沿いにあったというのが事実です。それを最も顕著に受け継いで、九州から出雲、さらには尾張から大和へと、最初に古代日本の国づくりを行なったのが、「物部氏」の系統です。ただ物部氏と一口で言っても、海人族あり、ヤマ族あり、また祭祀や忌部はもちろん、武族ありと、多様に分かれます。3世紀末、初代「神武天皇」のモデルとなった実在の東征した人物(大王)に国を譲った大王(総称「天照大御神」=男性神)は、物部氏にかかわる一族の王で、いわば彼らは勝者の記録=『古事記』や『日本書紀』によって、「史実」を消された側になります。



【↑上に戻る】

※当ページの内容は著作権法により保護されております。無断使用はご容赦お願い申し上げます。

Copyright(C) 2005-2015 Aquariun Astrology - Seiji Mitoma All rights reserved.