宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

霊識プレ講座=霊能編
―スピリチュアル!な認識―

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海王星が魚宮に入宮したこれからの時代は、「霊識」が重要になります。
直接は触れませんが、その前知識として「霊能」について触れておきます。
海王星は今後、霊能やスピ系の真実を明らかにしていくためです。

「霊能」は個人的な真実、どこまで信用できる?


●第1稿 : 2012年 3月 1日アップ

近未来予測 第2部―意識の深層世界編」でご紹介したように、昨年2011年は「霊識元年」でした。
天王星の牡羊宮入宮や、海王星の魚宮入宮によって、「心霊」ではない新しいスピリチュアルの動き「クオリチュアル」が今後、10数年をかけて活発になっていきます。
そこで重要なのが「霊識」です。その前提として「霊能」をご紹介しておきます。

《 「霊能者」を信じるのは自由 》

緊急的にですが、「霊識プレ講座」として「霊能」を取り上げます。
今年2012年2月3日に海王星が魚宮に入宮することによって、これからの時代に必要な「霊識」に気づくまで、古い「心霊(スピリチュアル)」の問題が断続的に生じたり、話題となっていきます。
信じるか信じないかは、皆様のご自由です。
自由民主主義の社会では、他の人の権利を侵さず、違法な行為をしなければという前提つきですが、「信教の自由」が保障されています。
「イワシの頭」を信じることも、どこかの教祖様や霊能者を信じても、信仰の対象は自由なのです。
さらにいえば、何かを信じて、自分自身が不幸になったとしても、他人の権利を侵さなければ、その「自由」も保障されています。
他の人がアドバイスや説得を試みることも自由ですし、それを受け入れるか受け入れないかも自由で、最後に決定するのは、ご本人です。
結果、とりかえしがつかない事態になる前に目が覚めれば、それも一つの経験として、以降、同じ間違いをしなくなれば結果オーライでしょう。
しかし、何が「霊能」かを知っておくことは、今後の時代のディレクションから必要です。
現在、騒がれている芸能人と霊能者の「マインド・コントロール」といった問題も、そのための出来事の一つです。

One-Point ◆ テレビで知りましたが、なかなか収まりそうもないので、「霊識プレ講座」として「霊能」の問題を取り上げることにしました。「霊能」の何たるかを知っておくことによって、安易にダマされたり、惑わされることはなくなるはずです。

《 「霊能」には客観性がない 》

先に結論を書いておきましょう。
少し乱暴な表現ですが、誰がやっても同じ結論や結果が出るものを「科学」といいます。
その対極にあって、個々人の主観によるものを「霊能」といいます。
にもかかわらず、「霊能」を、何か客観的な真実や科学かのように勘違いすると、間違えてしまいます。
霊能といっても実状は、千差万別です。
その内容やレベルは、10人の霊能者がいれば10態、100人いれば100態、1,000人の霊能者がいれば1,000態の様相があります。
これが何を意味するのかといえば、自分にとってその霊能は「事実」や「真実」であっても、他の人からみれば、必ずしも正しいとはいえないということです。
科学のように客観的に「正しい」という実態がないのが、「霊能」の世界です。
逆にいえば、それぞれに「真実」なのですが、その真実は、本人のみに通じるものだということです。
なので、人の「霊能」を頭から信じ込んで、その人に帰依したり、すべてを投げ出すというのは、人生のある時期、一時的な修道や修行としてはともかく、実生活で終生、継続することは、あってはならないことです。
それは、自分という存在を失うことを意味します。
もっと極端にいえば、「霊能」があるから素晴しいというものでもありません。

One-Point ◆ 宝瓶宮占星学では、個人の意志を尊重したリーディングを行ないます。相手の意志を無視して、「こうすべき」と強制したり、従わせるような命令を下す教祖はもちろん、占断を下す占い師や霊能者は間違っています。無条件に信じてしまう人にも課題はあるのですが、やってはいけないことです。


矛盾する「神」との対話

●本屋で目にした『神との対話』。
中身は、勝手に「神」と思い込んでいるだけの内容でした。
著者も編集者も、「神」と単なる「霊」を混同しています。
仮に、「神」=最高の神霊的存在だとしましょう。
であれば、長々と対話をする必要はありません。
意志の疎通は、一瞬です。
その一瞬にすべてを込めて伝えられます。
「神」なる存在は、時間や空間や関係性を超えた最高の神霊の域にありますので、コミュニケーションをとるのであれば、一瞬で済むからです。

また、『○○の霊言』といった本も、似たようなものです。
こちらは対話をしたり、霊言を受けることは可能です。
なぜなら、相手は現世の人間に近いレベルの存在だからです。
○○本人が低いレベルか、また○○と偽るレベルの低いニセモノと話した内容というが、多くの「霊言本」の実態になります。
それを見抜けない著者側(霊能側)も、決してレベルが高いとはいえないことがお分かりでしょうか。

《 「完全な霊能」はありえない 》

実際のお話ですが、人に見えないものが見えたり、聞こえるからといって、ヘタな「霊能」ほど始末におえないものはありません。
当たるも八卦、当たらぬも八卦、当たるかどうか半信半疑の占いのほうが、「占い」と理解されている分、お遊びでみてもらうので、まだマシでしょう。
「霊能」がどんなものかを理解すれば、さほど信じるに足らない面が多いことがみえてきます。
「霊識」の観点からいえば、どんなに素晴しい最高レベルの霊能力があったとしても、人間であるかぎり、絶対完全ということはありえません。
宗教的にいえば、「神性」を持つことはできても、一個の人間が「神」と同等の「霊能」を持つことはできないのです。
宇宙の目的からみて理論的にも、それはありえません。
新興宗教の教祖様が、どんなに「霊能」を持っていたとしても、自分を「神」と自賛したとたんに、ニセモノに堕ちてしまいます。
約2,000年前のイエス・キリストでさえ、自分を「神」だと言ったことはありません。
後世の神学者たちが「三位一体の神」にイエスを祭り上げ、その権威による教団の組織化を図ったのであって、イエス・キリストが「神性」や「霊能力」を持ってはいても、「神」そのものではありえません。

One-Point ◆ 「霊能」というのは、個々人の個性と同じで、厳密にいえば、みんなバラバラです。良いとか悪いとかではなく、それぞれに違うのに、自分の「霊能」こそ絶対に正しい、「神」である、「信じよ」という教祖様や霊能者は、その時点で「霊能」の何たるかを知らない「霊識」のないニセモノだということが分かります。

《 「霊能」と「霊能力」の違い 》

「霊能」とは、いったい何でしょうか?
一般の人に見えないものが見える、聞こえないものが聞こえる、勝手に手足や体が動いてメッセージを伝えるといった、何か特別な能力なのでしょうか?
それを自分の意志で必要なときに自由自在にコントロールできるのであれば、それはまだ「霊能力」と呼んでもいいかもしれません。
しかし、そこまでの「霊知」や「霊性」また「霊識」を持っていれば、むやみに使うことはありません。
霊の世界を知らしめる使命を持っていて、一時期に使うことはあるでしょう。
また、生命にかかわる悪霊の憑依を解いてあげるために、相手の事情に応じて、使うこともありえるでしょう。
ただし、生半可な霊能力では、それ以上の霊力を持った存在の場合、逆にやられてしまうことが起こります。
相手は見えない存在です。どうしようもなく危険です。そのことをよく知っている霊能力者は、必ず複数で徐霊や浄霊を行ないます。
独りでは勝てない場合でも、複数の人が意を同じにすることによって、効果が倍増するからです。
そういった使命がある以外は、むやみに使うことは人生において意味がないことを理解しているのが本物の霊能者です。
そのことを知らない中途半端な霊能者が、「霊能」をひらけかします。
自分の意志で100%コントロールすることができれば「霊能力」と言ってもいいのですが、勝手に見えたり、聞こえたり、体が動いたりするのは、霊の力に負けていたり、受けている可能性があります。
それは「霊能力」ではなく、単なる「霊の作用」です。
自分の意志ではなく、操られている可能性が高いので、避けたほうがいいものです。
それを「霊能力」と勘違いしている、自称「霊能者」さえいます。

One-Point ◆ 「霊能者」自身も我知らず操られているのです。そんなことを続けていると、次第にとりかえしがつかないことになりかねません。単に「霊能」を受けている場合、スポーツでもやって、自分の意志や肉体のほうに意識が向くようにすることです。また「霊能」や「霊能力」はなくても、自分で「霊力」を我知らずに発揮している一般人は数多くいます。

《 数理法則による「霊界論」 》

話はそれますが、宝瓶宮占星学の基礎理論の一つ「数理法則」からは、霊や霊界といった実態を解き明かすことができます。
アインシュタインも言っているように、空間の存在物がすべて無くなれば、時間も無くなってしまうのが、この世界です。
詳しいご説明はともかく、数理法則からいっても、時間と空間だけではなく、正しくは関係性さえも無くなってしまいます。
それがどのような世界か、ご想像できますでしょうか?
時間や空間や関係性が無くなるということは、まったく変化のない固定的な世界だということです。
変化があってこそ、刺激を得ることができます。
その変化がまったく無くなるということは、新たな刺激が得られないことを意味しますので、もはや成長することが難しくなります。
成長ができなければ、それまでに自分が感じてきた意識レベルのまま、永遠的に留まってしまう世界がそこにあります。
カンの良い方ならお分かりのように、それが俗にいう「霊界」と呼ばれる世界です。
簡単にご説明いたしましたが、時間も空間も関係性も無くなった、いわば自分の「主観」のみの世界が、俗にいう「霊界」と表現される世界のことです。
「霊能」というのは、そういった「主観」の世界にかかわるものなので、極めて個人的なものという側面を持ちます。
修行や修道の時期はともかく、また、自分の「個性(能力)」を引き出す指導をしてくれるマスター(師)はともかく、他人の「霊能」を無条件で、頭から信じ込むべきものではないことがお分かりでしょうか。

One-Point ◆ 自分本位で頑なな意識や、狭い了見しか持たなければ、時間や空間や関係性がなくなった世界では、狭い意識レベルのまま留まります。そうなると、かなり動きづらい世界です。逆に多くの人の感性や世界を理解できたり、感動できる広い多様な意識レベルを持っていれば、より自由な世界がそこに広がります。そういった点では、自分のみ尊しする狭い了見の「霊能者」や「宗教者」よりも、広い心や人々のことを喜べる心を持った一般人のほうが、レベルは高いといえます。


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