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連載 邪馬台国は馬臺-その6
幻想の女王「卑弥呼」
- 出典『魏略』では「早弥娥」 -

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陳寿は「早弥娥」をドラマチックに仕上げた

↑ 佐賀にある卑弥呼像。

●リライト稿 : 2025年 6月18日アップ


逆順にお送りしています「邪馬台国は馬臺」の10回めは「幻想の女王[卑弥呼]」です。

「魏志倭人伝」の作者陳寿(ちんじゅ)は、『晋書』「陳寿伝」を読むと、文才はあっても「史述家」としては信頼できない部分があります。

ロマンをかきたてる筆致が得意だからです。

「魏志倭人伝」も同様で、「卑弥呼」や「邪馬台国」をミステリアスにロマンある筆致で著わしました。

倭の女王「卑弥呼」に対して、少なからずロマンを抱き、美化したり“幻想”を抱いてしまう書き方をしています。

《 女王卑弥呼の登場! 》

陳寿は「邪馬台国」に来たこともなければ、「卑弥呼」に接したこともありません。

「魏志倭人伝」を読むと、ほとんど人前に姿を現わさなかった「卑弥呼」で、接した人はほぼいなかったと記されています。

伊都国に留まって陸行ひと月もかかる邪馬台国に行くことなく、伝聞によって記された郡使の記録を参考に、陳寿は“女王”とされた卑弥呼を、支那(China:中国)流に「女帝」かのように描いています。

「魏志倭人伝」の記述をみてみましょう。

● 「魏志倭人伝」より抜粋(1)

「倭国乱れて相攻伐すること年を歴(へ)たり、すなわち共に一女子を立てて王となす。名づけて卑弥呼という。」

原文 : 「倭国乱 相攻伐暦年 及共立一女子為王 名曰卑弥呼」


One-Point ◆ 「卑弥呼」が最初に登場するこのシーンは、印象的にドラマチックな筆致で記されています。マンガであれば、戦乱に明け暮れ人類が危機に瀕するなか、ついに正義の味方「卑弥呼さま登場!」 ジャジャーン! といった手法です。




《 卑弥呼に実権はなくお飾り 》

この登場シーンによって、読者は古代日本のスーパースター 、英雄かのように感じるのですが、本当でしょうか。

「魏志倭人伝」から事実を読み解くと、卑弥呼に実権はなく、和平のために御輿に担ぎ上げられたお飾りだったことが分かります。

続けて、次のように記されています。

● 「魏志倭人伝」より抜粋(2)

「鬼道に事(つか)え、よく衆を惑わす。年、すでに長大なれども、夫婿(ふせい)なし。」

原文 : 「事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫壻」


One-Point ◆ この書き方は、正体不明の卑弥呼をミステリアスにショー・アップしています。「鬼道につかえる」だけで事足りたはずですが、「よく衆を惑わす」という一文によってスゴイさを際立たせています。ですが、後段を読めば矛盾する内容が記されています。



《 陳寿の記述は史実よりもイメージ優先 》

陳寿は、事実よりもイメージを膨らませた表現で「倭人伝」を書いたことが分かります。

● 「魏志倭人伝」より抜粋(3)

「男弟ありて国をたすけ治む。王となりてより以来、見まゆることある者、少なし。婢千人をもって自ら侍らしむ。ただ男子一人のみありて飲食を給し、辞を伝えて出入りす。」

原文 : 「有男弟 佐治国 自為王以来 少有見者 以婢千人 自侍 唯有男子一人給飲食 伝辞出入」


ここでは「見た人が少ない」と記しながら、前段の「よく衆を惑わす」という一文は矛盾します。

陳寿が得意としたドラマチックな手法で、史実を著わすのではなく、フィクション小説仕立てです。

One-Point ◆ ほとんど室内に引きこもっていたことが記されています。このことからも、「男弟」を介した女王国連合(邪馬台国連合)の運営は不可能です。さらに、お飾りに過ぎなかったことは、次項の一文からも読み取れます。




●筑後平野(筑紫平野の中央部から東部付近)は古の邪馬台国グループ。


《 実際の権力は伊都国の男王 》

● 「魏志倭人伝」より抜粋(4)

「女王国より以北は、とくに一大卒をおきて諸国を検察せしめ、諸国これを畏憚(いたん)す。常に伊都国に治す。」

原文 : 「自女王国以北 特置一大卒 検察諸国 諸国畏憚之 常治伊都国」


卑弥呼は「たすけ治む」だけで、「女王国連合」の諸国が畏(おそ)れ憚(はばか)っていたのは、「世々王あり」と「魏志倭人伝」に記される伊都国の王に対してだったことが分かります。

卑弥呼の死後、13歳の台与(とよ)が女王に立ち、衆望に叶った(『翰苑』の逸文より)ということからも、それが分かります。

One-Point ◆ 卑弥呼も台与も御輿に担がれた女王でした。実際の権力は、一大卒が置かれ、魏の郡使が常に留まり、諸国を監察し、畏れ憚られていた伊都国の男王の掌中にあったことが明らかです。


《 「鬼道」の正体と卑弥呼の名称 》

最後に「鬼道」についてです。

支那(China:中国)で「鬼」が何を表わすかが分かれば、民族性が魚宮で象徴される日本とも照らし合わせて、「鬼道」の正体が明らかになります。

近年、中国で建設ラッシュが起こり、高層マンションが数多く建ち並びましたが、人が住まずゴースト・タウン状態となった街を「鬼城」と呼びます。

ゴーストが“鬼”で、中国の様態ではタウンは“城”です。

北京で「鬼街通り」といえば“幽霊通り”のことで、日本でも火の玉を「鬼火」と呼んだり、死ぬことを「鬼籍に入る」と表現します。

卑弥呼の「鬼道」も死者にかかわるもので、“口寄せ”やイタコ、よく言えば“神仏”の言葉を伝える「託宣」(たくせん)を行なうことが「鬼道」の正体です。

One-Point ◆ いわゆる“霊媒体質”の持ち主です。陳寿がタネ本とした今は残っていない『魏略』では、「早弥娥」(逸文では「方」偏に「尓」)と記されています。これを「早」をよく似た悪字の「卑」に変え、美しい顔立ちなどの意を持つ「娥」を「呼」に変えて、「卑弥呼」と記して蔑んだのが陳寿でした。






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