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連載 古代日本の黎明 feat. 占星学
− 古代オリエントの影響 −
その5:饒速日はヤマトの主だった

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最初に日本をまとめた大国主命または饒速日命の国譲り

↑ 饒速日命=シナ風に描かれたもの。


●第1稿 : 2022年 5月10日アップ

『日本書紀』によれば、初代「神武天皇」がヤマトに東征したとき、そこには主(あるじ)として饒速日命(にぎはやひのみこと)がいました。

国譲りを行なったとされる「出雲族」と、国づくりを行なった「大国主命」(おおくにぬし の みこと)、そして「饒速日命」(にぎはやひ の みこと)の関係は、大胆仮説となるのを承知で申し上げますと、同一か錯綜した類似関係になります。

さらにいえば、古代豪族・物部氏(もののべ うじ)の祖・饒速日命は、紀元前7世紀以前に日本に来ていた古代オリエント族にかかわる末裔かのようです。


《 統一独立国家建設 》

『日本書紀』は、史実をベースとしながらも、明らかに作為された記述が散見できます。

天孫族を正統とした「神代」(かみよ)の記述や、各地の豪族を赤子(せきし)に組み込んで、統一独立国家「日本」(大和)を建国することが急務だった7世紀の影響が色濃くあらわれています。

『日本書紀』編纂の総裁だった「舎人親王」(とねり しんのう)は歌人で、“舎人”と称されているように名目上の責任者でしょう。

舎人親王は、『日本書紀』の編纂を勅命された天武天皇(???-686)の皇子だからです。

実質は、抜群に頭もよく策謀家で、万世一系の定着に貢献した「藤原不比等」(ふじわら の ふひと)によるアイデアが満載で、一定の史実をベースに、そこには天皇と藤原氏また大和朝廷による「統一独立国家」建設の意図を盛り込んだ「プロパガンダ」(政治宣伝)の書になっています。

天才というのは、彼のような人を言うのかもしれません。

おかげで第40代「天武天皇」(てんむ てんのう)、その妃で第41代「持統天皇」(じとう てんのう)、両天皇の孫で第42代「文武天皇」(もんむ てんのう)と、『日本書紀』の天孫降臨神話どおりの皇位継承に成功し、事実上の万世一系がはじまり、今日も続いています。

One-Point ◆ 揺らぐことなく歴代天皇のもと統一独立国家として1,300年のちも「国体」が保たれていることへの彼の功績は大きいのです。


《 神武以前のヤマト国 》

そういった『日本書紀』ですが、初代「神武天皇」への「国譲り」のお話が描かれている以上、東征以前にヤマトに譲るべき国らしきものがあったと考えるほかありません。

当然、出雲や大国主命また饒速日命にかかわる国です。

“大国主”という名前は、最初(大)に国の主(あるじ)となった人物を意味します。

現在の出雲大社(いずも おおやしろ)の主祭神です。

古代出雲を治めたとされる素戔嗚命(すさのお の みこと)の子孫が大国主命であることを知ればおかしくありません。

さらに、「神武天皇紀」に記されているように、物部氏の祖とされる「饒速日命」(にぎはやひ の みこと)は、神武以前にヤマトにいて主(あるじ)でした。

One-Point ◆ “饒速日”という名前は、先に和(饒)をもたらし国づくりをしていた人物(ひ:霊)であることが読めるのです。結局、出雲族、大国主命、饒速日命は、どこか一つにつながってしまいます。


《 饒速日命も天孫族だった 》

饒速日命から物部氏の初代となる「宇摩志麻遅命」(うましまじ の みこと)が生まれています。

物部氏は、天皇を支える古代豪族でありながら、「天孫系」で特別氏族とされます。

『日本書紀』には、神武天皇がヤマト入りをしたときに天皇が長髄彦(ながすねひこ)に、「主(あるじ)の饒速日命が天津神(天孫族)なら表(しるし)があるだろう」と問うと、長髄彦は天羽羽矢(あまの ははや)と歩靭(かちゆき)を天皇に示したとされます。

すると天皇は「偽りではない」と認められているのです。

ご存じのように天孫降臨した「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)から天孫族の皇統がはじまり、彦火火出見尊(ひこほほでみ の みこと)、ウガヤ葺不合尊(うがやふきあえず の みこと)、そして初代「神武天皇」へと続きます。

このどこかに饒速日命がいたことになりますが記されていません。

どこまでが史実なのかはともかく、意図的に省くといった『日本書紀』の記述の在り方が読めます。

そういった『日本書紀』なので、出雲族、大国主命、饒速日命がどこかでつながっていてもおかしくないのです。

古代ヤマト(奈良)で国譲りが行なわれ、ヤマトの地に大国主命の別名「大物主大神」(おおものぬし の おおかみ)を祀る「大神神社」(おおみわ じんじゃ=おんが さま)が実際にあるのです。

出雲大社の主祭神でもある大国主命が、名前を変えて大神神社の主祭神として祀られている以上、もともとはヤマトにいたことが、その規模やご神体の三輪山からわかります。

One-Point ◆ ちなみに、かえって混乱するかもしれませんが、史実としては、古代ヤマトは卑弥呼の邪馬台国などではなく、出雲族や大国主命また饒速日命にかかわる集会地や祭祀上の国だったとすれば、三輪山のふもとに箸墓古墳(はしはか こふん)があることのつじつまがあいます。


《 九州北部からの東征 》

さて、ここまで推測できれば、お話は簡単です。

古代日本の弥生時代におけるコメ作り、また土器は北部九州や遠賀川(おんががわ)流域から全国に広がりました。

広めたのは、おんがさま(大神様)こと大国主命(大物主神)すなわち饒速日命です。

大国主命は一人とはかぎらず、各地にいてもおかしくありません。

そのなかで各地に医薬などの道を教え広めて、ゆるやかな大国主連合を築いていった代表が『日本書紀』に記され、大神神社や出雲大社に祀られる大物主大神こと大国主大神でしょう。

そのように考えると、年代は未定ですが北部九州の遠賀川上流域をさらにのぼった「朝倉」周辺の地名が、ヤマトこと現在の奈良県や近畿に、方向や位置関係も一致して多くあることもうなづけてしまいます。

また、東征の上陸地大阪をみても同様です。

福岡市の屋台ラーメンで有名な長浜に隣接する草ヶ江は、古代は入り江となっていた「草ヶ江湾」(くさがえ わん)でした。

同じように大阪府の東部にあった古代の河内湖の古称は「日下江」(くさかえ)です。

さらには、住吉大社は今でこそ総本社として大阪にありますが、日本第一宮住吉神社が今も博多駅近くに残っています。

古代の入り江「草ヶ江湾」また「冷泉津」(湾、港)を抱えていた古代の“博多湾”に流れ込む那賀川(なかがわ)の河口に古代から住吉神社はあって、現在は土砂の流出や埋め立てによって内陸部になっています。

One-Point ◆ 住吉神社は、海人族(あまぞく)の住吉三神をご祭神とし住吉大神らしき武内宿禰(たけの うちの すくね)ゆかりのようです。


《 古代オリエント族 》

さらに、大胆仮説を申し上げます。

神武東征とされる紀元前7世紀頃は、古代イスラエルのソロモン王の船団が、交易集団フェニキアの力を借りて世界各地に鉄や宝石また珍物を求めて3年間ほどのスパンで航海を続けていた時代です。

フェニキアの二段櫂船 ※ Phoenician Ship : フェニキアの二段櫂船

海に囲まれ大自然が豊かな火山地帯である古代の日本は、山海の食糧だけでなく、砂鉄や宝石類も多かったために、ソロモン王の船団も来ていたようです。

淡路島には古代イスラエルの物証が残っているとか。

日本列島には以前から原住縄文人がいましたので、日ユ同祖論は明らかな誤りですが、古代イスラエルの影響が副次的にあったことまでは否めません。

上述の紀元前7〜8世紀頃をはじめ、史実からみても3世紀、5世紀、7世紀など日本のはじまりとされる時代に古代オリエント系の影響があったようです。

物部氏が鉄器と兵器の製造や管理をしていたというのも、温和な縄文系の古代日本民族では特殊で、戦いを常とし鉄器文化を開いた古代オリエントのヒッタイトにゆかりがある可能性も残されています。

なぜなら、古代イスラエルのダビデ王の妻バド・シェバ(バテシバ)の元夫はヒッタイト人で、彼女はソロモン王の母親でもあるからです。

ソロモンの船団には、古代イスラエル人を雇用主に、フェニキア人の操船者と、ヒッタイト人の技師らが乗っていたことでしょう。

彼らは古代イスラエルが紀元前931年に南北に分裂したのち、北イスラエルも紀元前721年に滅亡したため、帰る場所を失い、食料が豊かでキレイな水にも恵まれ気候も温暖な日本に居つくか舞い戻ってきたのではないでしょうか。

そして、古代国づくりを援助したのですが、原住ではないことから“神武天皇への国譲り”に至ったことが推測できます。

One-Point ◆ 予定を変更して、前々から気になっていた物部氏の祖「饒速日命」についてお届けいたしました。初代「神武天皇」が国を譲り受けたと「神武天皇紀」に記されている以上、以前から国があったのです。饒速日命を“天津神”としたのは強奪にしないための「不比等マジック」だと考えられます。




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