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宝瓶星学 ―宝瓶宮時代の新しいアストロロジー―
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●第1稿 : 2026年08月19日
予想以上に「深層の精神意識の変革」のデレクションが進んでいます。
深層の精神意識(霊性、深層心理)なので、外からは見えません。
合理的でロジカルを重んじてきた外国人が、日本の精神文化に触れて、心の琴線を揺さぶられ、宝瓶宮時代(ほうへいきゅう じだい)の実動社会を感知しているのです。
理由は次のとおりです。
西洋文明は2,000年余の双魚宮時代(そうぎょきゅう じだい)を築いてきましたが、行き詰まりを見せていて、宝瓶宮時代を先取りした日本の「霊識文化」に触れて、“ポスト・ジャパン・ブルース”(Post-Japan Blues “日本ロス”)に陥るほどです。
●2012年のことでした。
「宝瓶宮占星学」の真髄をお伝えする「伝授講座」をスタートさせました。
第1章「啓蒙編」、第2章「実技編」、第3章「波動編」と続き、現在は第4章「霊識編」を併行してお届けしています。
人為の占いではなく、天意の宇宙法則に基づく正真正銘の「アストロロジー」(Astro+logy:星学)です。
実学なのです。
ブラウザに「Astrology」と入力すると、誤って“占星学”と表示されます。
古代ギリシャの「古典アストロロジー」と、19世紀後半以降の「現代占星術」は似て非なるものです。
ただし、複雑な歴史的変遷の経緯があって、やむをえない側面がなくはありません。
端的に理由を申し上げますと、「星占い」として始めたのに、権威を装い「Astrology」と称したアラン・レオ(1860-1917)の詐称に起因します。
ただし、現代占星術が“教祖さま”の詐称の事実を述べることは“信仰上”ありません。
ポスト・ジャパン・ブルース(日本ロス症候群)は、「深層の精神意識の変革」のデレクションにより起きています。
外国人にかぎらず、日本人自身も「深層の精神意識の変革」のデレクションを受けます。
というか、古来より「霊識のタネ」を宿してきた日本人ゆえに、今日の宝瓶宮時代の実動社会に際して、我知らずともしぜんと呼応し、知らずに共鳴してプレゼンス(存在感、影響力)を発揮しています。

●単に経済的なインバウンドの指標では図れない、“宝瓶宮時代の聖地巡礼”の趣があります。
アストロロジカルに申し上げます。
昨今、「土星外惑星」(トランス・サタニアン:冥王星、海王星、天王星)が、春分点の「海王星」を頂点に小三角(ミニトライン=60/60/120度)を形成することによって、「霊識開元」の複合ディレクションがもたらされています。
「深層の精神意識の変革」のディレクションはその中核です。
さらに戦後、日本の“現体制”は「牡牛宮」によって象徴されるようになったことが一因しています。
One-Point ◆ 日本の“国体”は「水瓶宮」によって象徴されます。そこにおいて“現体制”が「牡牛宮」に変わった意義は大きく、新生日本がもたらされています。戦後の高度成長期を経て、日常生活の安全や快適性、また美味しい日本食など、漸次ながら「牡牛宮」の象意現象が確実にゆっくりと定着しています。
●宝瓶宮時代の三大特徴は次のとおりです。
“自由”と“個性”(才能)と“友愛精神”(和、絆、民度)です。
日本の“国体”は水瓶宮で象徴されていますので、気づきにくいのですが、日本社会の特質になっています。
日本人の深層の精神意識の根底に「霊識のタネ」として秘められているのです。
そのため、日本に来た外国人は、「牡牛宮」の快適な“現体制”とともに、社会生活の背後にある深層の精神意識に触れることになります。
自由なこと、安全なこと、差別や敵対しないこと等々。
当たり前のように行なっていることが、訪日外国人にとっては“信じられない日常”だったり、当たり前の生活文化になっていて、人間が本来もつべき深層の精神意識(霊性、深層心理)に触れ啓発され心地よさをふつうに感知しています。
日本人にとっては、なんで感激しているのか分かりません。
逆に、日本人も世界では“ふつう”ではないことを認識させられ、いっそう当たり前に接し応えていくことになります。
さて、「深層の精神意識の変革」のディレクションを初めてご紹介したのは14年前、「伝授講座」の冒頭で、今日を見越してお伝えしておきました。
「今後30年間のメイン・ディレクション」の中で、タイムテーブルに載せたのです。
当時は多分、絵空事の“未来予測”と思われ、誰も本気でご納得はしていなかったでしょう。
“当たるも八卦”の占い、すなわち既存の占星術のように、過ぎ去った出来事から未来を推測する「帰納法的」な人為の占断は、変化が少なく安定的に続く時代ではまだ有効に機能します。
ですが、今日のようにパラダイム・シフトがピークを迎えた大変革の時代には役に立ちません。
では、どのようにリーディングできたのかというと「天意」です。
宇宙法則に基づいた宇宙創成プロセスの延長にある人類歴史ゆえに、「演繹法」によってディレクション・リーディングができます。
信じられないでしょうね、これまでのジョーシキや社会通念からは…。
One-Point ◆ 「冥王星」が宝瓶宮時代の共鳴サイン(宮)水瓶宮の影響圏を3年余りかけて運行し、2024年11月に正式に入宮しました。そのため、「数理法則」の「4数」と共鳴して“深層の精神意識”が働きはじめ、宝瓶宮時代に向けた変革をうながしていくことがリーディングできていたのです。
双魚宮時代、キリスト教は神が地上と人間を創り給い、地上の支配権を与えたとする『旧約聖書』を聖典として、イエスの教えを説いた『新約聖書』とともに信奉しました。
『旧約聖書』の冒頭「創世記」の天地創造の項に記されているためです。
ところが、16世紀初頭にコペルニクス(1473-1543)は『天球の回転について』を著わし、地球(地上)のほうが動いていると捉えたほうが惑星の動きを説明できることを論述しました。
ただし、彼自身はキリスト教を慮って、「地動説」と明確に述べることはしていません。
科学的な信念をもって正式に公言したのは、約100年後のガリレオ(1564-1642)です。
当時、天地において絶対的な権力を持っていたキリスト教の教えに反する「天動説」を公言したのです。
そのため、彼は異端審問にかけられ、“地獄に落ちる”「破門」を言い渡されたのみならず、有罪判決を受け監禁されています。
One-Point ◆ 信じられない所業です。が歴史的事実です。それから約350年ほどが経った今日、人知れず「宝瓶宮時代のビッグバン」(1989)が起き、宝瓶宮時代の“宇宙波動”に変わる直前のことです。当時のローマ教皇自らが声明を発表し、教会の過ちを認め、ガリレオに謝罪して破門を解き、後日、彼のために盛大なミサを開いています。
そもそも「天動説」は見た目の主観解釈です。
双魚宮時代特有の信仰的な思い込みであって、1630年に“宝瓶宮時代の影響圏”に入ったガリレオの時代になって、宇宙法則による客観的な「地動説」が唱えられたのです。
過去の“ジョーシキ”や“社会通念”で当たり前とされていた天動説がひっくり返ったのは、当時の人々にとって驚天動地の大転換で、このことは「コペルニクス的転回」と呼ばれています。
今では誰もが知っている事実ですが、当時の人々を私たちは笑うことはできません。
なぜなら、同じようなことを現代人も行なっているためです。
過去の双魚宮時代の“ジョーシキ”や“社会通念”を当然のように信奉し、今なお言動している部分が誰にでもあるためです。
また現代占星術いおいては特に顕著で、主観解釈の占断を我知らず“正しい”と信じて続けています。
それが強く出過ぎると、今日の「霊識開元」の複合ディレクションのおり、“既存権力の崩壊”のウラ・ディレクションに見舞われます。
たとえば、反高市政権を叫ぶ反日議員や財務官僚の昨今の現状をみればお分かりいただけるでしょう。
One-Point ◆ 現在、双子宮をトランシットしている「天王星」であることから、次は、反日や反高市政権を煽動する第4権力のオールド・メディアがターゲットになります。今のまま改めないと、近々同様に“既存権力の崩壊”のウラ・ディレクションの轍を踏むことになります。
宝瓶宮時代の新しいアストロロジー「宝瓶星学」は占いではなく、実学です。
宇宙に基づいた客観法則やこの世界の深層をアストロロジカルにリーディングできます。
一方、19世紀後半以降の「現代占星術」は“エソテリックな占い波動”から抜け出ることはありません。
アラン・レオ(1860ー1918)は、「自分が始めたのはエソテリック占星術だ」と述べています。
理論なき秘境で、信じて悟るしかない密教的な「星占い」なのです。
古典理論を伴なった古典占星学派の人々が、当時の占いブーム(心霊ブーム:近代スピリチュアリズム)に「これが本物のアストロロジーだ!」とばかりに参入してきました。
「エソテリック」といえば、一見、カッコよさそうですが、理論的な根拠がなく「信じるか信じないかはあなた次第」といった宗教同然の星占いという意味です。
One-Point ◆ では、双魚宮時代と宝瓶宮時代のどちらに身を置きますか? いずれでもかまいません。ご判断は皆様のご自由だからです。お薦めするのは宝瓶宮時代の方向に歩調を合わせることですが、人の意識や社会運営は一朝一夕には変わりません。社会的には過渡期なので、両方のニーズが見られます。当サイトは新しい時代のスケジュールやディレクション(運勢変化、時代変化)また時代の流れと共にある「天運」の方向性などをお伝えするだけです。選択判断の結果はご自身で責任を持てばよく、誰にでも“信教”の自由は保障されています。