宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代のアストロロジー―

ジャパニーズ俳句論
[情感と自由解釈]
― 日本独自の感性と大衆文化 ―

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大自然の四季への共感性と崇敬が生んだ五七五

●第1稿 : 2022年 5月28日アップ


日本独自の文化「俳句」(Haiku)にはドのつく素人です。

ヤボを承知でアストロロジーの観点から切り込んでみたいと思います。

芭蕉、素堂の著名な句はいかがでしょうか。

《 英訳が困難な俳句 》

俳句を英語に訳すのはたいへんなようです。

直訳すると『百匹のカエル』というタイトルの本があります。

「ONE HUNDRED FROGS」(Weatherhill; New版 1995/5/1 Paperback 128頁)です。

日本の俳句を代表する芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の英訳集だそうです。

早いお話が、英語で表現しづらいので、100種類ものさまざまな英訳文があるのでしょうか。

One-Point ◆ 気になるかたは英訳文をタグってみてください。上述の本は、4,000円(税込)ほどでネットから購入できると思います。なぜ、そういった英訳文にしたのかを読まれたり考えることで、逆にジャパニーズ俳句を理解できるかもしれません。


「ONE HUNDRED FROGS」


ONE HUNDRED FROGS

●One Hundred Frogs: From Matsuo Basho to Allen Ginsberg (Inklings S.) ペーパーバック – 1995/5/1 英語版 Hiroaki Sato [著]
ペーパーバック ¥3,774-より

《 日本人が感じる風情 》

「古池や 蛙飛び込む 水の音」

日本人なら何かを感じとれる風情がある松尾芭蕉(1644-1694)の五七五の十七音です。

ですが、英語はそうはいきません。

いちいち主語がどうの、定冠詞がこうの、単数形か複数形かなど、ロジカルな言語なので、五七五を単に英語にしても、それがどうしたのとなります。

「古い池があって、蛙が飛び込んで、水の音がしました…」で、それがなにか? って感じでしょう。

虫の鳴き声は、世界的には日本のように情緒を感じるものではなく、騒がしい雑音に聞こえるといいます。

蛙が飛び込んで水の音がしたからといって、そこに心が動かされることはないようです。

One-Point ◆ ですが、このジャパニーズ俳句の代表作は、外国人の興味をひくようです。どこがいいの? といったようにミステリアスだからでしょう。理解不能な異文化をクールにとらえて、賛否はともかく自分なりにそしゃくしようとする習慣をもつからでしょうか。


「目に青葉…」で著名な山口素堂


山口素堂

●やまぐち そどう 寛永19年5月5日(1642年6月1日) - 享保元年8月15日(1716年9月30日)
江戸時代前期の俳人。本名は信章。幼名は重五郎、通称は勘(官)兵衛、または市右衛門。

《 禁断の季重なりの秀逸 》

もう一つの例をご紹介しましょう。

「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」

有名な句ですが、少し俳句を知っていれば、なにこれ? となりそうです。

「青葉」も「ホトトギス」も「カツオ」も季語で、俳句には 「季語は1つ」というのが基本的には常識なので、季重(きがさ)なりがひどすぎるということになりかねないからです。

でも、芭蕉とも近い山口素堂(1642-1716)のこの句は、それがいいんですよね。

日本人なら何となくでも感じるのではないでしょうか。

四季折々の楽しみが五感に染み込んでいるからです。

青葉が美しい季節になったよね…視覚、杜からはホトトギスの麗しい鳴き声が聞こえるし…聴覚、海からは新鮮な初ガツオが食せる…味覚、よい季節が来た…肌感、って感じでしょうか。

One-Point ◆ ヤボ、野暮、やぼったい解説はやめましょう。何をどう感じるのかは、それぞれの好みや知識また見識に応じて、ご自由に楽しめばいいのです。この句に興味をもってもいいし、もたなくてもいい。大自然に八百万もの神々がやどる日本ですから。

《 魚宮と水瓶宮の精神性 》

そうですね。

日本は、四季折々に大自然の美しい変化を体験することができます。

旬の食彩を日常生活で共通して体感できる環境にあって、大自然を崇敬し大切にしてきた日本的霊性が根底にあるからです。

宝瓶宮時代のアストロロジー通称:宝瓶宮占星学では、古来から日本人は、魚宮に象徴される「民族性」をもち、水瓶宮で象わされる「国体」をもつとみています。

魚宮の象意によって、時空を超えた日本的霊性や豊かな情感をもちます。

さらには、天皇のもとで臣民平等の自由や対等的な精神意識をわれ知らずとも心のどこかに持つのが日本人です。

五七五で短く切り取った俳句は、そのほうが、それぞれの感覚で自由に解釈できるということでしょう。

One-Point ◆ さらに戦後の日本は「現体制」が日常生活や、安全で快適性を追求する牡牛宮に変わりました。日常を詠んだ俳句は、いっそう心にフィットするようになったのです。江戸時代からの識字率の高さも五七五の楽しみに関係しているといえます。

《 カワズは求愛したのか? 》

最後に、上掲の句に独自解釈を加えておきます。

「古池や カワズ飛び込む 水の音」は、恋愛などをふくめた情感を暗喩しているようです。

周囲の川や海で泳ぐことが自由にできた時代は、告白に成功したり、逆に失恋したりしたときに、古来からのみそぎではありませんが、水に飛び込むということがあってドラマでもよく描かれたりします。

また、かつて1985年に阪神が初めて日本一になったとき、ファンが道頓堀にジャンプするという現象が起きたのも、優勝が嬉しいからで似たようなものです。

理論理屈で考える必要はありませんが、カワズが飛び込んだのは悲喜こもごもどちらでもいいし、それとは関係なくごくふつうに池に飛び込んだととらえてもかまいません。

また、由緒がどこまである古い池かもどちらでもよく、たまたま古い池だったというのでもいいし、自由な情緒と理性的精神で解釈が可能な五七五だからこそ、日本的だともいえます。


One-Point ◆ お気づきでしょうか。日本は時代的にみて最先進国です。お話は変わるようですが、アストロロジーと占星術は異なり、前者は宝瓶宮時代に通じて客観的な理論をともなう理性的精神があり、後者はかつての双魚宮時代に通じて主観的な占いで情緒的です。


【独自の英訳に挑戦】

●俳句も英語もシロウトなりに、独自の英訳にチャレンジしてみました。

お笑いください。

―― Ancient pond, Affectivity frog diving and sound of vibes. ――

個々人の自由な解釈に任せればよいという観点から、必要以上に説明せずに、Ancient:往古といった歴史的な池にして、どこにでもいる frogではなく、Affectivity frog と、ジャパニーズ俳句的に説明を加えました。

最後は、スラングで申し訳ありませんが、大ヒット曲「The Sound of Silence」をもじって、波紋も想起させるであろう vibes. と外国向けに締めました。

ふつうに sound. で締めてもいいし、 in heart. でもよかったかも。




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