宝瓶星学 ―宝瓶宮時代の新しいアストロロジー―
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●第1稿 : 2025年10月17日アップ
アストロロジーの観点から双魚宮時代(そうぎょきゅう じだい)を総括する4回めです。
今回は、ホロスコープの「構成要素と解釈の違い」の変遷をお届けする前編です。
「まて、まて、ホロスコープって過去も今も同じじゃないのか?」
そうお考えの方がいらっしゃいましたら、なぜそう思われるに至ったのか、振り返ってみられると何かみえてくるかもしれません。
ホロスコープを解釈する大ヒントです。
ホロスコープの発祥は紀元前5世紀頃なので、21世紀の今日まで約2,600年、26世紀にも及びます。
その歴史の中で「現代占星術」は、わずか150年程度、1.5世紀ほどの歴史しかないことをご存じでしょうか。
しかも、解釈する理論がない“鬼っ子”(鬼子)の“ホロスコープ占い”です。
“メインストリーム”からは外れており、アラン・レオの「エソテリック」(秘教的)な自称“占星術”は19世紀後半にはじまりました。
アラン・レオに象意をパクられて反発し、“本物を見せてやる”とばかりに、ホロスコープを用いて“伝統的”な「古典占星術」に戻そうとした人々がいました。
ケプラーが始めた「古典占星学」を受け継ぐ、いわば“古典理論派”の人々です。
彼らが事実上「ホロスコープ」を用いたのです。
しかし、時代は「木星」を“支配星”とする“フィロソフィー”(愛智、哲学:古典科学)を重視したそれまでの双魚宮時代とは違っていました。
「海王星」の発見は、木星の自由な“理性”ではなく、主観的な“感覚”(感性)など霊性波動(心霊ブーム:近代スピリチュアリズム)の社会風潮を蔓延させていたのです。
結局は、理論的な「古典占星学」は受け入れられず、理論なきアラン・レオの“星占い”と混合して、今日の“ホロスコープ占い”が形成されていったのです。
One-Point ◆ 「海王星」の初期の象意は、“まだ見ぬ理想”です。“盲信”状態をもたらすため、19世紀中葉の「海王星」発見の直後、社会的には“共産主義”や“スピリチュアリズム”、さらにはその後の世界的な「対立二元論」の現われとなった三次にわたる世界大戦などはその典型です。
●国内でも海外のサイトでも同じです。
「古典占星術」や「伝統的占星術」(古典アストロロジー)と言いながら、イメージや説明に“宇宙”や“丸いホロスコープ”を使っているのをよく見かけます。
「あ〜分かっていないんだな」と思います。
つい最近、18世紀頃まで、アストロロジーのホロスコープは「四角」だったからです。
「宇宙」をイメージしたり、「丸い」ホロスコープになったのは、つい最近、20世紀以降の“現代占星術”からです。
“現代占星術の父”と“誤認”されているアラン・レオは、一般大衆には小難しい古典的な“四角いホロスコープ”は使っていません。
「丸いホロスコープ」を用いて、今日の“ホロスコープ占い”こと「現代占星術」が確立したのは、実際には古典理論派の人々の参入によって、事実上は20世紀に入ってからです。
“事実誤認”や“勘違い”のオンパレードとなった「現代占星術」は、もしかして、自分自身でも気付かずに“妄想”によって、誰が何の目的で“ウソ”を広めているのでしょうか。
「現代占星術」の“信者”が、「自分たちの“占い”は亜流だ」と語ることはありません。
当然です。
海外ではすべて“Astrology”と呼んでいて、混同していることに気づかないからです。
日本でも類似で、「〜ロジー」と称しているにもかかわらず“アストロロジー”は“占星術”と訳されています。
「海王星」の象意波動は、正式には来年2026年1月27日まで続き、社会に根づいた“勘違い”や“混同”は、その後も暫し人々の意識から消えることはありません。
「海王星」発見後、“事実誤認”や“混同”による“勘違い”のオンパレードで、自覚や認識できていないだけで、驚くほど日常茶飯事に起きています。
“共産主義”や“スピリチュアリズム”もタイガイですが、気付いていらっしゃらないだけで、最も顕著なのは「現代占星術」自身です。
One-Point ◆ 「現代占星術」は、「海王星」の影響を受けて始まったものです。具体的には、霊媒師マダム・ブラヴァツキー率いる新興宗教団体「神智学協会」のアラン・レオらによるもので、“霊的洗脳状態”に陥ります。ご自身で気づくことが難しく、以前、当サイトで“占星術信仰”と揶揄することがあったのですが、「バカ言うな!」と反発するご対応は、どこかの信者そのものでした。
今はすでに真実が明らかになっていく宝瓶宮時代が始まっています。
現在は、「霊識開元」の複合ディレクションまたウラ・ディレクションの“既存権力の崩壊”によって、個人的にもまた社会的にも宝瓶宮時代の実働社会を始めていく変化のときで、今後5年間、昨年2024年のプレ・ディレクションを含めて、足掛け7年間ほど続きます。
このディレクションの方向性や流れに沿わない人々が一定数いますが、遅かれ早かれ自らの言動によって“自滅”していくことになります。
“反面教師”の役割を果たしつつも、時代に流れに逆流し、いずれは歴史の大河の中に呑み込まれていく運命(さだめ)です。
仕方なく組織的に流されていくことを含めて、“ご自分の道”を盲信しつつ、われ知らずとも“自滅”の道を選択していく感じです。
One-Point ◆ ちなみに、歴史の大河になるほど、最終的に“ディレクション”(運勢変化、時代変化)どおりに動きます。ただし、個々人には自由な意志や創造力がありますので、身勝手を含めてどのような道を選ばれていくことも可能です。ですが、宝瓶宮時代は「共鳴関係論」を歴史パラダイムとして運営発展していきますので、最終的にはディレクションどおりに進むようになります。
ホロスコープにお話を戻します。
宝瓶宮時代の影響圏は、双魚宮時代の25度にあたる1630年頃からはじまりました。
奈辺から近代物理科学とともに近代天文学が発達し、宇宙の現実に沿った「丸いホロスコープ」の素地が整っていきました。
それまで、古代ギリシャの「古典アストロロジー」やケプラーの「古典占星学」など、古典理論を用いた人々は「四角いホロスコープ」を使っていました。
では、なぜ四角だったのでしょうか。
大きくは2つの理由があります。
第一に、今日のような天動説に基づいた「宇宙観」がまだなかったため、地上の「東西南北」と同じように四角が最も現実に沿っていたのです。
第二に、ホロスコープが発祥した古代ギリシャのフィロソフィー(愛智、哲学:古典科学)による「四元素世界観」を解釈理論としたためです。
One-Point ◆ 世界には「熱/冷/乾/湿」の状態があり、それぞれ「火/土/風/水」の四元素によって世界は成り立っているという考えです。この「世界観」を、当時から肉眼で見える7つの“惑星”(動く星々:プラネット)の“位置”(宮:サインまたは室:ハウス)や“関係”(アスペクト)と結び付けて解読していました。
当時、動いて見える星はすべて“惑星”と呼ばれたようです。
「惑星、その名のとおり順行や逆行をして“途惑う”ように見える星です。
「太陽」と「月」は順行のみですが、肉眼で見える「金星」「火星」、まれにしか見えない「水星」、そして明るい「木星」と暗い「土星」の7つが“惑星”(プラネット)として用いられていました。
今日では、近代天文学によって、地動説が明らかになり、天体観測も発達したことから、「太陽」は恒星に区分されますし「月」は衛星に区分されます。
それ以前、天動説の当時は、みんな“惑星”と捉えられていたということです。
「現代占星術」において“十大惑星”(メイン・プラネット)の中に、「太陽」と「月」も“惑星”として含められてるのは、それゆえで正しくは天体です。
もっとも、恒星も衛星も惑星も「星」に変わりはありません。
さて、詳しくは次回お届けいたしますが、驚愕の事実を書いておきます。
古代ギリシャの古典アストロロジーの「四角いホロスコープ」は、当時の星座も用いましたが、12区分されていたのは「ハウス(室)」のほうです。
One-Point ◆ アラン・レオは“12星座”の名称を用いましたが“Constellation”(星座)を意味するのではなく「Sign」(宮)のことです。ホロスコープの12サイン(宮)と、空の12星座とは異なるためです。前者は「春分点歳差」に基づくものです。後者は約2,160年(計算値)ごとに変遷し、人類の歴史パラダイムを規定していく「アストロロジカル・エイジ」と一部で重なり、12星座に近い12サイン(宮)になっています。「トロピカル方式」とよばれる現在の12サイン(宮)になっています。
※次回5回めは「ホロの変遷:後編」をお送りいたします。
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