宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

坂本龍馬の出生時間と斬殺
―そのとき龍馬を殺ったのは?―

ホロスコープからみる龍馬殺害の真犯人と動機

坂本龍馬

●第1稿 : 2011年02月15日アップ

NHKの大河ドラマ「龍馬伝」(2010年)の福山雅治演じる龍馬は、彼らしく明るい龍馬でした。この年なぜ「龍馬」だったのかは、「宝瓶宮時代の意識の目覚め」のディレクションが働いていたからでしょう。
龍馬の行動には、「天子(天皇)以外は、将軍も大名も時代の名目にすぎぬ、上下などない」という現代に通じる思いがありました。 ここでは、龍馬の言動や龍馬斬殺の日時から「出生時間」と「真犯人」を探り出してみます。

《 龍馬「暗殺」はミステリー? 》

坂本龍馬を京都近江屋で斬殺した犯人は、「京都見廻組」を筆頭に、「新撰組」、「薩摩藩」、「紀州藩」、「土佐藩」、「中村半次郎」、「中岡慎太郎殺害の巻き添え」など、諸説あります。
いまだに「真犯人は誰か?」、暗殺ミステリーのように取り沙汰されているのです。
事件から3年後の明治3年、元京都見廻組の今井信郎が自白していたにもかかわらず、その内容の一部に疑惑がもたれているからです。
彼の供述によると、実行者は7人。
近江屋の二階に上がって龍馬と中岡慎太郎に切り及んだ4人と、表で見張りに立っていた3人です。
彼が挙げた名前は、与頭(くみがしら)の佐々木只三郎をはじめ、鳥羽伏見の戦いによってすでに死亡していた者ばかり。
ウラがとれないのです。
明治33年(1900年)、今井談が雑誌に発表されると、「真犯人は新撰組」と信じ、公言していた土佐出身の谷干城は、今井の証言を「売名行為」と激しく非難します。
殺害現場に残されていた刀の鞘が、「新撰組の何某のもの」という証言を得ていたからです。
龍馬斬殺に関わる数々の証言がありますが、時代がどう動くか分からない中、関係者を含めた当時の証言内容が、どこまで本当だったか、真偽は不明です。
今井信郎にしても、虚名を挙げ、生存していた実行者をかばっていたことが後年、明らかになりました。
結局、ウソとマコトが錯綜しており、確証を欠いているのです。
では、ホラリー・ホロスコープでは、どう読めるのでしょうか?
慶応3年(1867年)旧暦11月15日、戌の半刻頃、中岡慎太郎(17日死去)とともに、龍馬は近江屋にて31歳の生涯を閉じました。

One-Point ◆ 時代は「大政奉還」の勅許が1か月前にでたばかり。まだ徳川慶喜に政権は委任されており、盟主・徳川体制が続くかも分からなかった時代です。「欺瞞」の星ともいわれた海王星が発見されて、まだ20年足らず。ヘタに証言すれば、命さえ危ない混迷の時代だったことが最大の原因です。


ホラリー・ホロスコープとは?

●英語の「ホラリー(Horary)」は、「時間の、時の、毎時の」といった意味を持ちます。
ホロスコープ自体が、「時の見張り番」という原義を持ち、何らかの「時間」に基づく星の配置なので、ホロスコープはすべて、「ホラリー・ホロスコープ」になってしまいます。
ネイタル・ホロスコープ(出生天球図)も、設定を「出生時間」にした星の配置だからです。
そうではなく、ホラリー・ホロスコープは、「事件」や「事故」、または「質問」などが発された時間(Horary)のホロスコープで、これを用いたものを「ホラリー占星術」といいます。
「事件事故占星術」でも「時間占星術」でも、日本語訳に困るところです。
あえて日本語にするなら、ホラリー・ホロスコープは「設時天球図」といえそうです。
ちなみに、英語の「Horary」の発音は、「ホーラリ」または「ホーラリィ」のほうが近くなります。

《 斬殺時のホラリー・ホロスコープ 》

坂本龍馬が斬殺されたときのデータと、ホラリー・ホロスコープを挙げておきます。

発生年月日 慶応3年11月15日、戌の半刻頃
事故の現場 京都市河原町通り蛸薬師下ル - 近江屋 (E135.77、N35.01)
事件の当事者 坂本龍馬(満31歳)、中岡慎太郎(満29歳)
データ典拠 2011.02.15現在のデータです。

坂本龍馬暗殺事件

One-Point ◆ 龍馬が殺害された慶応3年11月15日は、現在のグレゴリオ暦になおすと、1867年12月10日になります。時間は、午後8時過ぎです。場所は京都市。高瀬川沿いにあった土佐藩邸の斜め前、近江屋の二階。階段を上りきった奥の間です。

坂本龍馬の実際の写真2点

坂本龍馬の写真

●龍馬の写真といえば、上野彦馬(実際は井上俊三)が撮った立ち姿が有名です。
そういった斜めから見た龍馬の顔ではなく、正面からの写真は、かなり印象が異なります。
案外と細めで長いのです。
また、ソフトなイメージもあります。
ソフトさは蟹宮直前の月が第7ハウス(室)に位置しているためです。
容姿や風貌は、上昇星や上昇サイン(宮)だけでなく、ホロスコープ全体を見ることが必要です。
高身長や長めの顔、全体的な容貌や、龍馬の言動からは、出生時間を朝6時3分、射手宮に特定しました。
皆様が、どの出生時間を信じようと、それはご自由です。

《 龍馬の出生時間とホロスコープ 》

上のホラリー・ホロスコープから分かる「真犯人」は誰でしょうか?
結論を書けば、「京都見廻組」で間違いはありません。
それも「暗殺」というよりも、むしろ「公務の遂行」に近いものです。
「大政奉還」は成っていたとはいえ、「王政復古」の大号令が出たのは、殺害から1か月後。
政権の移行期ですが、龍馬殺害の時点では、徳川慶喜は朝廷から当面の政権委託を命じられていました。
上のホラリー・ホロスコープを読み解くと、龍馬斬殺は、いわば京都府警に当たる「京都見廻組」にとっては、半ば公務執行だったことが分かります。
ホロスコープの解説は後回しにするとして、それよりも興味をひいたのは、このホロスコープから龍馬の出生時間が垣間見えることです。
まずは、龍馬の出生時間を特定してみましょう。

昨年2010年の大河ドラマ「龍馬伝」や、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』は、エンターテインメント(娯楽)であり、史実とは異なる脚本が多々あったのは周知の事実です。
本当の龍馬はどのような人物だったのか、出生時間を特定すれば、ホロスコープ(出生天球図)から見えてきます。
出生時間の特定は、次の3つから可能です。
1、龍馬の写真や体躯。
2、龍馬の考えと言動。
3、殺害時のホロスコープ。
これも先に結論を申し上げれば、出生時間は、1月3日朝6時3分頃になります。

One-Point ◆ 生年月日が分かれば、その人の出生時間を特定するのは案外と簡単です。ただし、日常生活に接するなど、実際の言動や容姿、クセや行動の特徴を雰囲気的にでも、つかむことが必要です。テレビに出てくる有名人であっても、何度か見ているうちに、上昇サイン(宮)を感じてくることが多々あります。

「龍馬」の名前と出生時間諸説

●龍馬の本名は、直陰、後に直柔。
「龍馬」という名前は、母親が身ごもったとき「雲龍翔馬」の夢を見たから…、というのは、俗にいう「英雄伝説」。
「辰(たつ)」の刻生まれや、「午(うま)」の刻生まれ? であれば「出生時間不明」なはずはない。
有力なのは、当時は魔除けに「動物の名前をつける」のが流行っていたこと、生まれたときに「背に一塊の怪毛あり」ということ。
見逃せないのは、生まれたとき「顔に黒子(ほくろ)點々」という記述。
これは、牡羊宮を上昇サイン(宮)に持つ人や、火星を第1ハウス(室)に持つ人に比較的ながら多い特徴です。

《 坂本龍馬の出生天球図 》

実際の龍馬の言動などから、出生時間を特定したホロスコープ(出生天球図)です。

坂本龍馬の出生時間ホロスコープ

One-Point ◆ 龍馬が生まれた天保6年(1835年)旧暦11月15日は、現在のグレゴリオ暦になおすと、翌1836年1月3日です。現在の高知県高知市上町、土佐の商家・才谷屋3代目、郷士・坂本八平(直足)の次男・直陰として生まれました。当時は、海王星の発見(1848年)直前とはいえ、すでに観測はされていましたので、書き入れました。冥王星は未発見ですが、これもご参考に書き入れています。

間違った解釈が多くなる理由

●ホロスコープには、似たような象意が数多くあります。
そのどれかを使えば、すでに既知の事実に対しては、後から占断の「根拠」とすることは簡単です。
重要なことは、それが正しいとはかぎらないことです。
案外と多いのです。
もっともらしく解釈していても、実は似たような別の象意を取り上げて、そのように解説している西洋占星術本やWEBサイトの記述が…。
ホロスコープには、より強く現われるメジャーな象意と、そうではないマイナーな象意があります。
それらが共鳴することで、より強く生じたりもします。
マイナーな1点だけをみて解読したり、解説すると、他のメジャーな象意を見逃してしまいます。
その占星要素や個々の象意が、どれくらい強く現われる「象意」なのか、正しく見抜いたものでなければ、本物のアストロロジャー(西洋占星術者)やマスター(師)とはなりえません。

《 出生時間を特定するには? 》

上の3つから、どのように出生時間が特定できるのか簡単に触れておきます。

1、龍馬の写真や体躯
いくつか龍馬の写真を見ているうちに、意外なことに気づきました。
どちらかというと丸めの顔の印象があったのですが、正面から見ると龍馬好きで有名な武田鉄矢氏ほどではなくても、案外と馬面だったのです。
また、龍馬の身長が173cm(実際は169cm?)と、当時の平均よりも10cm以上も高かったことです。
この2つから、上昇星の可能性も含めて、上昇サイン(宮)がいくつかに絞られてきます。
2、龍馬の考えや言動
1836年1月3日、山羊宮の生まれなので、星の配置は分かっています。
山羊宮を第1ハウス(室)においたソーラーサイン・ハウスシステムによって、リーディングできる龍馬の性格と、記録に残る実際の言動を照らし合せます。
すると、ソーラーサイン・ハウスシステムからは出てこない、いくつかの実際の言動が、出生時間を基にしたASC(Ascendant アセンダント=上昇点)を起点とするハウスシステムに象われることになります。
幕末を駆け抜けた龍馬の大きな特徴は次のとおりです。
イ、無謀すぎるくらいの大胆さと前向きさ。
ロ、時代を切り拓く果敢な開拓者精神と実行力。
ハ、他者への配慮を秘めた人間力と柔軟性などです。
また、剣の達人だったことや、海軍操練所や海援隊などの組織を率いたリーダーの運勢も挙げられます。
さらには、脱藩という非常手段をとってまで故郷を離れ、江戸以西を自在に巡り、海外への思いを馳せた願望と行動の原点は、どの星やサイン(宮)の象意からきたのか、ということからも、上昇サイン(宮)は案外と簡単に絞られてきます。
3、斬殺時のホロスコープ
歴史的な使命を果たした人物で、志半ばで殺害されたことは、事件時のホラリー・ホロスコープ(設時天球図)の中に、ネイタル・ホロスコープ(出生天球図)のヒントが何かあってもよいはずです。
それを龍馬のソーラーサイン・ハウスシステムのホロスコープ(出生天球図)と照らし合せて共鳴関係を読み取っていくと、出生時間(ASC=上昇点)にかかわる何らかの星の配置がどこかにあるはずです。

One-Point ◆ 龍馬は出生時の太陽に対して、木星が衝(オポジション=180度)をとっています。この木星は蟹宮にあることから、海外への憧憬はさほど強く示しません。むしろ「土佐勤王党」や「尊皇(攘夷)派」だったことを象わします。彼の「脱藩」や「海外志向」などスケールの大きさは、むしろ上昇サイン(宮)にあったことが読み取れます。

《 最も龍馬らしい上昇サイン(宮) 》

出生時間を特定した龍馬のホロスコープ(出生天球図)からは、次のようなことが見えてきます。
時代を切り拓いた果敢な開拓者精神や実行力、また剣の腕前やリーダーシップは、太陽と火星の合(0度)だけではなく、それが第1ハウス(室)に位置していたことから、かなり強かったことが読み取れます。
ところが彼は、単なる思い込みが強いワンマンではなく、「議論はしない。議論に勝っても相手の名誉を奪うだけだ」とも述べています。
他の言動からも、このように相手や周囲をおもんばかる配慮は、蟹宮の影響圏にある双子宮28度の月が、第7ハウス(室)であることを知れば、簡単にうなずけてしまいます。
ほかにも、隠れた自己顕示欲の強さや、「殺害」の可能性など、いろいろ読み取ることができますので、皆様ご自身でやってみてください。
特記しておくべきことは、彼の風貌や体躯、また故郷を離れて広く他国や海外を志向したこと、そして山羊宮生まれにもかかわらず、「おれが気楽だから…」と述べていることなどから、つまりは木星が上昇星か、射手宮が上昇サイン(宮)か、どちらかに特定できることです。
これは、他の星の配置も含めて、龍馬のホロスコープ全体を勘案しての判断なので、すべての人に当てはまるとはかぎりません。
もし、木星が上昇星であれば、蟹宮が上昇サイン(宮)になります。
その場合は、月までもが上昇星か、もしくは第12ハウス(室)ということです。
当然のごとく太陽は、第6ハウス(室)か第7ハウス(室)になります。
これは、いくら木星が上昇星であっても、小役人的な細かさや繊細さなど「弱さ」が性格に出てきてしまいます。
龍馬が子供のころに弱かったのは、蟹宮の影響圏にある双子宮28度の月がもたらしたものです。
結局、木星が上昇星であることはありえません。
むしろ、射手宮が上昇サイン(宮)ならば、すべての整合性がとれます。
太陽が日の出の勢いを持つ第1ハウス(室)なのも、月と木星が人気も高い第7ハウス(室)なのも、山羊宮の共鳴星・土星が現実社会を視野に動く第10ハウス(室)にあるゆえの現実的な実行力も、馬面で高身長だったことも、すべて当てはまります。

One-Point ◆ ここに書いているのは、龍馬のホロスコープ(出生天球図)をリーディングした一部です。他にも見えてくるものがありますが、それは今回のテーマとは異なります。龍馬斬殺の実行犯と、龍馬の出生時間を特定できれば、あとは皆様がご自由に判断されればよいことです。


「殺害声明」を出さなかった理由

●「職務の遂行」であれば、なぜ声明を出すなり、何らかの記録を残さなかったのかという疑問も出てきます。
これも龍馬斬殺が、「暗殺ミステリー」となってしまった一因です。
理由は2つ考えられます。
当時は、何の官職も持たなかった龍馬は、さほど著名ではなかったことです。
また、「大政奉還」後ゆえに、朝廷への権力移行を見越して、尊皇派の龍馬殺害が、「犯罪」とされてしまうことを恐れたためでしょう。
また、「大政奉還」直後の龍馬斬殺は、故意か偶然か、いわば自分たちの「権力」が奪われたことに対する、最後の仕返しともいえる一面があったのかもしれません。

《 ホラリー・ホロスコープ解題 》

宝瓶宮占星学による「新・ホラリー占星術」では、宝瓶宮占星学の基礎理論に基づいてリーディングを行います。
まず、実行犯はASC(上昇点)の獅子宮によって象わされます。
一方、被害者である龍馬と中岡慎太郎は、DES(下降点)の水瓶宮によって象わされます。
前ページの「高知白バイ衝突死事故」でも書いたように、獅子宮は「公権力」を意味します。
龍馬が斬殺された「近江屋事件」のちょうど1か月前、10月15日、第15代将軍・徳川慶喜が政権を天皇に返上し、「大政奉還」が成ったとはいえ、具体的な権力構造はまだ変わっていません。
徳川慶喜がそのまま盟主の座に横滑りして、新政権のTOPに就く可能性もありました。
それゆえ薩長は、徳川政権の息の根を完全に止めるために、討幕に動いたのです。
ただ、龍馬斬殺時の公権力は、まだ徳川幕府にあります。
そのため実行犯は、薩長土肥ではなく、幕府側である「京都見廻組」か「新撰組」に絞られます。
では、「京都見廻組」と「新撰組」のどちらか?
真犯人そのものを象わす獅子宮の共鳴星・太陽が、自らの共鳴サイン(宮)である第5ハウス(室)にあることから、それが分かります。
同じ「公権力」でも、会津藩預かりの非正規部隊、いわば傭兵の「新撰組」ではなく、幕府直属の正規組織、いわば京都府警に相当する「京都見廻組」です。
今井信郎の供述どおり、「京都見廻組」の仕業です。
斬殺時、太陽と火星は合(コンジャンクション=0度)です。
火星が象わす「武器(刀)」を用いたことも象わされています。
この太陽と火星は、実際の現場状況を象わすMC(Medium Coeli メディウム・コエリ=天頂:南中点)に上三分(アッパー・トライン:02.21訂正=120度)をとり、斬殺現場の状況と密接なかかわりを示しています。
このとき、MC(南中点)は牡羊宮。
牡羊宮が「頭部」を象わすことを知れば、ここでも龍馬が頭部を切られたことによって、絶命したことと符合します。
一方、水瓶宮は「市民」を象わします。
支配から脱却し、立場の平等や、新しい日本を目指した脱藩浪士、龍馬を象わすことで何ら問題はありません。
では、「京都見廻組」は、何を動機として、龍馬斬殺に及んだのでしょうか。
動機は、IC(Imum Coeli イムン・コエリ=天底:北中点)から分かります。
IC(北中点)は天秤宮です。
そこに星はないので、天秤宮の共鳴星・金星をみてみます。
金星は、第6ハウス(室)です。
第6ハウス(室)は「役所仕事」、公務である「職務上の執行」を意味しています。

One-Point ◆ 【補足】 被害者「龍馬」を象わす水瓶宮の共鳴星・天王星と、「京都見廻組」の動機を象わす金星は、斬殺時、正反対の衝(オポジション=180度)の位置にありました。
また、加害者「京都見廻組」を象わす獅子宮の共鳴星・太陽と武器を象わす火星は、斬殺の時刻、坂本龍馬のホロスコープ(出生天球図)のASC(上昇点)上に、ピッタリと乗っかり、まるで龍馬の「意志」と「行動」を押し潰すかのようでした。


寺田屋にある龍馬の句

《 寺田屋に掲げられている龍馬の句 》

2011.02.22付記:水瓶宮の上昇サイン(宮)? 》

坂本龍馬20歳前の言葉に、次のようなものがあります。
「世の人は 我をなんとも 云わば云え 我が為(成)すことは 我のみぞ知る」
まあ、読んでそのままの内容です。
私事ながら、上杉鷹山(うえすぎ ようざん)の 「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは 人の為さぬなりけり」 と並んで、10代20代の頃から好きな言葉です。
こういったマイペースさは、龍馬が射手宮や水瓶宮など、宝瓶宮時代に通じる考えや精神性を持っていたことを示します。
これらから、龍馬の出生時間を朝8時24分〜9時57分にして、上昇サイン(宮)を「水瓶宮」に特定することもできなくはありません。
ただし、龍馬が生まれた時代である1828年〜1836年は、ちょうど水瓶宮を天王星が運行していた時期です。
そのため、新しい時代の自由と平等を求める維新の志士が多く生まれました。
さらに龍馬は、月と天王星と土星の大三角(グランド・トライン=120度×3)を持っています。
これは当時の時流とともに、クールに自由を求める「情感」を、龍馬が強く併せ持っていたことを意味します。
あえて、上昇サイン(宮)を水瓶宮にしたり、天王星を第1ハウス(室)にもってこなくても、また、9時6分以降の生まれにして、龍馬の太陽を水瓶宮と共鳴する第11ハウス(室)に持ってこなくても、充分なのです。
時流と併せて、もともと水瓶宮や新しい時代の精神性を持っていたことが分かります。
むしろ、水瓶宮を上昇サイン(宮)にすると、ホロスコープ(出生天球図)から夢や強欲さやわがままさは出てきても、スケールの大きさや人望が出てこないのです。

One-Point ◆ 龍馬が女性にモテたらしいことが書かれています。金星と海王星の合(0度)に土星が矩(90度)をとっていますので、少し違います。射手宮が上昇サイン(宮)で、第7ハウス(室)が蟹宮の影響圏にある双子宮の月や木星であれば、女性の母性本能を刺激して「モテた?」ことも、人望や人気も、スケールの大きさも、「薩長同盟」の大事を成したこともみえてきます。



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