宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

西洋占星術の登場
―双魚宮時代―

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西洋占星術以前の古代オリエント占星学は、先に述べたとおりです。
今の大衆的な占いの西洋占星術とは、かなり趣きが異なります。
では、双魚宮時代の始まりと西洋占星術の成り立ちをみてみましょう。

双魚宮時代と西洋占星術の登場


西洋占星術イメージ

●第1稿 : 2006年02月01日アップ

広い意味で漠然と「西洋占星術」というとき、古代オリエント占星学や宝瓶宮占星学を含めることは可能でしょう。
しかし、正確に呼ぶとき、占星学の歴史の中では、これからご紹介する双魚宮時代における一形態が「西洋占星術」ということになります。

《 双魚宮時代の始まり 》

大きな時代変化は、日常生活にいきなりは現れません。 数百年という長い年月をかけて、ジワリジワリと人類に影響を広げていきます。
最初に影響を受けるのは、人間の思惟(しい)です。感性や考えに新しい時代の影響はまず現れはじめます。
双魚宮時代の場合、その影響は、魚宮(双魚宮)の象意にそって、思想や宗教として現われてきます。
新しい時代の動きは、一時は迫害されたり闇に葬られたように見えても、時代の「波動」に適応しているため、次第に知識層や為政者に受け入れられていきます。 その後、法律や技術など、日常的な文化や生活として定着していくのです。

One-Point ◆ 双魚宮時代の影響を読み解くには、白羊宮時代と同じようにシンボルマークからも知ることができます。双魚宮(魚宮)のシンボルマークは、逆方向を向いた二匹の魚です。それは、「魂と肉体」「善と悪」「愛と憎しみ」「神秘(オカルト)と現実」「宗教と科学」といった対立的な二元論として現れます。


魚座宮のシンボルマーク

世界宗教思想の台頭 》

では、双魚宮時代の始まりを告げる思想をご紹介しましょう。
紀元前500年頃、中国に現れた孔子(儒教の祖)は、「修身、斉家、治国、平天下」という男性的規範を唱え、白羊宮時代と双魚宮時代の思想の橋渡しであることが分かります。
同時期の老子(道教の祖)や約200年後の荘子の「老荘思想」は、孔子の教えをバカにして、方円の器に従い形を変える水のような存在や、権力や環境に従って生き長らえる女性や子供の柔軟さを優れている(上善如水)としました。
インド(現ネパール領)で、ほぼ同時代(諸説ある)に生まれた釈尊(仏陀=仏教の開祖)は、王位(国)を捨てて出家し、後に仏教は双魚宮時代の象意の一つである「慈悲」を説きます。
白羊宮(牡羊宮)の象意である「国家・正義・闘争・男性」などから、「個人の重視・宗教や慈悲・柔の女性」への価値転換は、明らかに双魚宮時代の象意に基づいた思想です。
一方、古代オリエントの中近東では、決定的な出来事が起こります。
紀元前4年頃に生まれたイエス・キリストは、数々のオカルト的な奇跡と同時に「愛=慈悲の西洋版」の教えを説きました。
自らを犠牲にした十字架以後、その精神に深く悔い改めた弟子らによるキリスト教は、ローマ帝国の国教となり、ローマ皇帝さえも信者としたのです。
その後、ギリシャ哲学を教義解釈に取り入れたキリスト教は、徐々に全世界に広まり、双魚宮時代をリードする文化思想となっていきました。

One-Point ◆ これらのことから、双魚宮時代は、紀元前500〜400年から影響が出始めたことが分かります。そして、十字架の紀元30年頃には、ほぼ完全に双魚宮時代に移行したのではないでしょうか。なぜなら、白羊宮時代の象徴であるローマ帝国が、十字架(キリスト教)に屈することに、後年なったからです。


善悪二元論は双魚宮時代の特質

●双魚宮時代は、対立二元論の象意を持つ魚宮の価値観の影響下にあったために、「神」対「悪魔(サタン)」といった善悪二元論を、私たちは当然と思い込んできました。しかし、これは双魚宮時代の特質にほかなりません。この考えは、「宝瓶宮時代」が進むととともに、消えるか変質していくでしょう。

《 西洋占星術の登場 》

では、白羊宮時代の「古代オリエント占星学」から、双魚宮時代の「西洋占星術」へと移っていったのは、いつ頃のことでしょうか?
紀元前500年ごろ、アケメネス朝(ペルシャ)は「古代オリエント占星学」が発祥したメソポタミアを統合し、ギリシャとのペルシャ戦争に至ります。
この頃から、「古代オリエント占星学」は、古代ギリシャの学者らに受け入れられていきました。
それまで国王の御用学だった「古代オリエント占星学」は、その知識レベルの高さからギリシャの学者先達らによって、医学をはじめ多分野に活用され、新たな変容と発展を遂げるに至ったのです。
それが「西洋占星術」の嚆矢(こうし)です。個人を占うホロスコープが登場したのも、この頃でした。
その後、ローマにおいてブームになるにつれ、キリスト教の影響もあってか、神秘(オカルト)的な要素も加わっていったようです。

One-Point ◆ 医学の父・ピポクラテスもギリシャの著名な先達の一人です。例えば彼は「占星術を知らないものは、医学を語る資格はない」とさえ記しています。しかし、4世紀にローマ帝国の国教となり、世俗の権力をも握ったキリスト教によって、占星術は異端とされ、その後13世紀頃までほとんど表舞台に登ることはありませんでした。

《 近世科学思想の台頭 》

こうして始まった双魚宮時代ですが、年月が経てば、否応なく宝瓶宮時代へと移行し、その影響が出てきます。
1545年、コペルニクス的転回と後年呼ばれた天動説から地動説への転回をコペルニクスはいったん提唱しますが、天動説を信じて疑わない中世カトリック教会(キリスト教)の批判を恐れて、「天体位置の簡易計算法」として発表するにとどまります。
約100年後、ガリレオは堂々と地動説を唱えたため、宗教裁判にかけられ有罪となります。そのガリレオや、ケプラーによって天文学は著しく発展していきました。近世科学思想の台頭です。
このような近世科学思想の発展と、18世紀に始まった産業革命によって、天文学と占星術はついに決定的に分離し、占星術は衰退していきました。

One-Point ◆ 双魚宮時代は、占星学にとっては不遇な時代であったように思います。それは「天体学(Astrology=占星学)」でありながら、オカルト的な「占星術」として時代に同化して生き延びざるを得なかったからです。その風潮は、とくに中国や日本などにおいて、今も顕著であることは、皆様がご存じのとおりです。

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