宝瓶宮占星学 ―宝瓶宮時代の新しい西洋占星術―

古代オリエント占星学
―西洋占星術の成り立ち―

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ここからは、時代の移り変わりと「占星学」の変遷をご紹介いたします。
最初に占星学が確立された白羊宮時代の状況を見てみることにしましょう。
「西洋占星術」とは違った占星学をご理解いただければと思います。

白羊宮時代の古代オリエント占星学


古代オリエント占星術イメージ

●第1稿 : 2006年02月01日アップ

西洋占星術の元となる占星学が確立されたのは、紀元前の白羊宮時代です。
この時代、天体観測の起点となる春分点が、おひつじ座(Aries)の位置にあったため、最初のサイン(Sign=宮)を、牡羊宮(Sign Aries=白羊宮)と呼ぶようになりました。

《 「宝瓶宮占星学」への序章 》

占星学の揺籃(ようらん)から約4,000年ほど経った今日、これまで約2,160年続いた双魚宮時代は、すでにその影響力を失ったように思います。
とはいえ、人の意識や習慣に、双魚宮時代の価値観が残っていますので、新しい宝瓶宮時代の文化や生活に完全に移行するには、しばし時が必要です。
占星学も同じです。双魚宮時代の西洋占星術から、宝瓶宮時代の「宝瓶宮占星学」に変わっていくには、相応の時を経なければなりません。
では、なぜ変わるのか? という疑問にお答えするために、占星学の変遷を簡単に見てまいりましょう。

One-Point ◆ 西洋占星術による大まかな時代区分については、前のページの「宝瓶宮時代」をご覧ください。春分点の移動に由来するプラトン年=約25,920年を、星座宮ごとに12に分けたものをプラトン月=約2,160年間といいます。この月が「白羊宮時代」や「双魚宮時代」や「宝瓶宮時代」です。通常の星座宮の順番とは逆回りに移動していきます。


古代バビロニアでの占星学

メソポタミア周辺

●世界四大文明発祥の一つチグリス・ユーフラテス川の周辺に古代バビロニアはありました。 ここの知識階層カルデア人の天体観測によって、占星学は発達していったとされています。

《 古代占星学の発祥 》

白羊宮時代は、紀元前2,000年ほど前から始まったと思われます。
この以前のエジプト時代にも天体観測はありました。しかし古代バビロニアの知識階級であったカルデア人の天体観測によって、今の西洋占星術の基礎が確立されたのです。
古代バビロニア帝国が築かれたメソポタミア地方は、日本から見れば西洋ですが、ヨーロッパから見れば東洋(古代オリエント=現代の中近東)です。
そのため、この時代の占星学は、正しくは「西洋占星術」ではなく「古代オリエント占星学」と呼ぶべきです。
この占星学が「西洋占星術」となるのは、紀元前500〜200年にギリシアの先達たちが、自らの学問に占星学を取り入れて、先の双魚宮時代に一般に広まったことに発します。

One-Point ◆ アレキサンダー大王で有名な紀元前300年頃のアレクサンドロス帝国の時代、高度な知識階級のカルデア人は、1年の長さが365日6時間11分であることや、月の満ち欠けが29日12時間44分であることを知っていました。カルデア人は当時の最先端の科学集団だったのです。


星の運行と地上の出来事

●一方でカルデア人は、星の運行と地上で起きる出来事とが、何らかの関係にあることを見抜いていました。 それは、今日の占星術には及ばないものの、国王に進言していたのです。これが今日でいう西洋占星術に、やがてつながっていったのです。

《 古代オリエント占星学は占いではなかった 》

白羊宮時代、カルデア人による「古代オリエント占星学」は、今の占い同然の西洋占星術とは、かなり趣きが異なります。
古代オリエントの占星学は、占いというより、国王の御用学に近く、国家にとって必要不可欠な役割を果たしていました。
四季の変化の乏しい古代オリエントでは、種まきの時期や河川の氾濫の時期など、為政(国のまつりごと)のためには「時」を知ることが重要でした。
そのためには、いつを年の始まりとするか定めなければなりません。それが春分点(牡羊宮の0度)だったのです。
カルデア人は星を観測して、春分点を起点に「時」を観測しました。そうしてカルデア人は、国王に為政のための「時」を教えたのです。
それは現代でも同じです。現代ではカレンダーがあって、1月1日が定められています。
それゆえ今日は何月何日か、平年とどれくらい気候が違うか、あと何日で春が来るか、または秋になるのかなど、誰でも簡単に知ることができます。
私たちの生活に欠かすことのできない「カレンダー」は、その語源が「カルデア人」に由来していると言えばお分かりでしょうか。
このように白羊宮時代の「古代オリエント占星学」は、現代の吉凶判断やオカルト的な庶民向けの西洋占星術(星占い)とは、根本的に違ったのです。

One-Point ◆ 現代の占星術学会の中にも、占星学が単なる占いに堕するのではなく、かつてのように国家に役立つようになるべきだという意見もあるようです。このような実学としての占星学の復権を願う声は、宝瓶宮占星学の流れと軌を一にするものです。


牡羊座宮のシンボルマーク

《 牡羊宮(白羊宮)のシンボルマーク 》

白羊宮時代の「古代オリエント占星学」が、国王や為政のためであったということは、白羊宮(牡羊宮)のシンボルマーク=牡羊の頭部からも読み取れます。
牡羊宮の象意が「正義」や「闘争(進取=リード)」や「頭部」であることは、西洋占星術を勉強したことのなる方ならご存じだと思います。
同様に、この時代の「占星学」は、国のトップ(頭部)である国王や、政治(規律・正義・闘争)のため実学として時代を進取(リード)していたのです。

One-Point ◆ 白羊宮時代がいつまでか、というのは諸説あり、正確なところは分かっていません。おおよそのことを言えば、質実剛健なローマ大帝国建国の紀元前100年頃から、その精神が失われていった紀元100年頃までの、200年の間くらいに白羊宮時代の影響は終わったといえます。

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